2008年10月15日水曜日

悠久の城址探訪

今日は午後になったら幾分秋空が広がってきたので、町外れの戦国時代の本佐倉城跡に行ってみることにした。 そこは国の史跡に指定された根古谷地区の城の中心部ではなく、未だ行ったことが無い谷を挟んだ小高い山の上の向根古谷地区だ。
千葉氏の家臣団が立て篭もったというこの場所、今は鬱蒼と樹木に覆われてどう行ったら良いのかさえ知らなかったが、かって弁天池の中島にあったというこの弁天様近くに細い急な山径を見つけ登ってみた。
山と言っても標高40m程度、薄暗い急な山径を5分も行かぬうちにこの奇妙な三角形の石に出会った。 見ると文字が刻んであり、「小御嶽石尊大権現」と読める。 右脇には「大天狗」、左脇には「小天狗」とある。 一体これは何だろう?・・
更に行くと、塚のようなものにぶち当たった。 右に大きな石碑、左には階段がしつらえてあり、その上に小さな石造りの祠がある。 石碑には、「伊勢大々講紀念碑」と彫られた文字がある。 これがこの地の郷土史に出てくる「浅間神社」に違いない。
早速細い注連縄が掛かる階段を登り祠を拝みに行く。 この祠にも暗くて見えにくかったが「富士仙元大菩薩」と刻んであった。 ということはこの祠は富士山の神様を祭った「浅間神社」に間違いない。 昔の地域住民の信仰の対象だったのではなかろうか・・・・。  でも戦国の城の跡らしい痕跡が見当たらないなあ・・と思いながら先を進むと、いきなり周囲が開けて畑が現れた。 この広場が多分昔の家臣団が立て篭もった場所かも・・・。
畑を抜けると比較的大きな神社の鳥居があった。 幟が立っているところを見ると今日は祭礼が行われているようだ。 この神社、酒々井町上本佐倉地区の村社神明大神社だった。 ここを訪れたのは初めて、お神酒の入った地元の人が神社の周囲の土塁や空堀の跡を案内してくれて、初めてここが城址であることが良く分かったのだった。