真冬と言うのにポカポカと陽射しが暖かいこの朝、誘われて発掘作業が進んでいる町外れの本佐倉城址へ奥方と一緒に出かけてみた。
秀吉の北条攻めで滅ぼされ、徳川の時代に入って佐倉市の佐倉城に移転するまで、15世紀から16世紀の戦国時代の下総一帯に勢力を伸ばしていた千葉氏の拠点であったという。
国の史跡に指定され鬱蒼と茂った竹やぶや雑木林が伐採されてみると、現れたのはまぎれもなく城の跡である。
未だ伐採や発掘作業が続いている起伏に富んだ城跡を歩いていると、行く手を竹林に遮られた。 覗いてみるとそこは窪地になっていて、城の空堀の跡だという。
竹林を抜けると、切り通しのような場所に出て、その先に印旛沼干拓田が広がっていた。 この場所は「虎口」と呼ばれる城への出入り口なんだそうだ。
当時はこの先から水を満々と湛えた印旛沼の湖面が広がっていたという。
更に奥に、雑木林が伐り払われた中を行くと馬の背のような場所に出た。 城の先に突き出たこの場所は「物見跡」だという。
歩いてみるとこの城跡は結構大きいのに驚く。 小一時間歩いただろうか、ようやく一回りして中央の城山に戻ってきた。
戦国時代の城は館の周りを堀や柵が巡らしてあって、安土桃山時代以降の城のイメージは無いそうだが、こんなに広いとは予想外だった。 この城山から当時はどんな情景が見えたのだろうか・・・と想像するだけでも楽しくなる。
ちなみにこの城、江戸時代以前の古文書には「さくらの城」すなわち「佐倉城」と記されていたとのことである。 江戸時代に現在の佐倉市に移転して佐倉藩主の居城となった城が「佐倉城」と呼ばれるようになったことから、近年、歴史研究上識別する意味で地名を頭につけて「本佐倉城」と名づけたのだという。
昔から城の名には頭に地名が付けられているというが、確かに思い浮かぶ城の名を挙げてみるとほとんどそうなっているから面白い。