激しい爆撃に怯えながら母に手を引かれて逃げ惑ったことや、空襲で博多の街全体が花火のように夜空を赤く染めているのを眺めた当時のことを次々に思い出す。
博多の実家の目の前が、田んぼや集落をつぶして造られた板付飛行場(現在の福岡空港)だったこともあり、米軍の標的になっていたのだ。

(赤ん坊背負って勤労奉仕していた当時の辛さやみじめさのみならず、飛行場建設に動員されていた陽気なイギリス兵捕虜達の話や、朝鮮から出稼ぎにやってきて不自由な飯場で暮らしていた人たちと互いに助け合った心温まる親交の話しをよく母に聞かされた)

第二次世界大戦の戦争体験者は全人口の20%にも満たなくなってきたと言うが、何とかこの歴史的事実が忘れ去られることのないようにしなければ…と思っていた去年、戦中・戦後に使われていた品物や生活の実態を記録した文献などを収集し展示している公的機関の「昭和館」の存在を知り、早速父と母が書き残していた「南方の記録」や「戦中戦後の記録」を寄贈したのだが、昨日その館報が届き、やっと役目を果たすことが出来たとほっとした。
(昭和館 : 平成11年3月末に千代田区九段南に開館。厚生労働省から委託を受けた一般財団法人 日本遺族会が運営)