先月、この言葉がぴったりの出来事がわが身に起こった。 というのも、6月中旬に突然右眼に違和感が生じ、7月に入ってから急に物が見え辛くなって成田日赤病院を訪れ、即手術が必要な網膜剥離と宣告されて緊急入院、 7月13日に手術して30日まで安静を強いられてしまったからなのだ。
というわけで、今回わが身に起こった出来事の顛末を記録しておくことにしよう。
ことの起こりは6月20日頃、この写真のように右眼に何やら砂粒のようなゴミが急に増え、上の方に靄がかかったような感じがしたことだった。
このようなことは4-5年前にも経験したことがある。 その時は確か車を運転している時だったと思うが、左眼の中に突然パラッ!と黒くて細かい砂粒のようなものが大量にまき散らされ、驚いて近くの眼科医に飛び込むと、網膜に穴が開いて血液が眼の中にとび散ったのが原因、「網膜剥離を起こすと失明する可能性もあるので直ぐにレーザーで穴を塞きましょう」とその場で直ぐ手術をして事なきを得たのだ。
そんな経験もあることなので、この写真のように違和感が増してきた6月27日、今回も又網膜に穴があいたのかもしれない・・・と思いながら、混雑する近くの眼科医を避けて隣町の眼科医に行って診てもらった。すると、「眼底検査では何も異常は見当たらないので加齢による飛蚊症でしょう。 数か月で眼の中のゴミは自然吸収されるから心配ない」との診断。 違和感が引き続きあったものの、とりあえず一安心と胸をなでおろして帰宅した。
やがて7月に入って4-5日経ったころ、なんだか上瞼の縁にはっきりと暗幕が降りてきたような感じで視野が狭くなり違和感は次第に強まって来たのだが、この時点でも未だ「そのうち自然に吸収されて綺麗に治る」という医者の言葉を信じて疑わなかったのだ。 ところが7月9日頃になると、
遂にこの写真のようにますます暗幕が下に降りてきてなんだか様子がおかしい・・・とようやく不安になってきた。 次第に吸収されて綺麗になるどころか、どんどん見え辛くなっている感じなのだ。 この状態は普通じゃないのでは? もしかしたら白内障の手術で入れたレンズの位置がずれてしまったのかなあ?…などと不安がつのってきた。
翌10日の日曜日、庭のヤマユリの花が咲きそろってきたのでカメラに収めようとファインダーを覗いたら、なんと何も見えないのでびっくり! 左目で覗くとちゃんと見えるので「これはやばい!」・・とこの時点で初めて怖くなってきた。
この時の眼の状態は、中心まで暗幕が下がって見たいところに眼を動かしても物がよく見えなくなっていた。 その時点での物の見え方はこの写真のような感じ、上半分に暗幕が掛り眼の中心は暗幕に隠れて見たいものを見ようとしても見えず、下の明るい部分をぼんやり感じるだけになってしまったのだ。
7月11日(月)、朝一番に急遽紹介状も無いのに成田日赤病院に飛び込んで事情を話したところ、ともかく緊急に診てくれることになってほっとする。
結果はまさかの網膜剥離、処置が遅れると失明するというのでほんとにびっくりしたが、「直ぐ手術しましょう」と言われ翌日入院、翌々日には4時間に及ぶ緊急手術を受け、30日迄病室でベッドにくぎ付けの絶対安静を強いられたのだった。
実を言うと、日赤に駆け込んだ時は既に眼底の半分くらい剥離が進行していたらしい。 違和感が生じた初期段階に直ぐ精密検査を受け、処置していればもっと簡単に治すことが出来たらしいのだが、破れた場所が眼底最下部の見難い場所だったこともあり町医者では発見できなかったのかもしれないし、日赤の看護士の話では網膜剥離を起こすのは1万人に一人位とのこと、滅多に無いことなので眼医者は油断して細部までよく診なかったのかなあ・・・・などと思ってしまう。
それはともかく、網膜剥離の症状がどんなものか全くと言っていいほど無知だったことが処置を遅らせた大きな要因だろう。
「最初瞼の縁が霞んだような感じだったのが、時間の経過とともにカーテンが降りてくるように視界が狭まってくる」というのが網膜剥離の特徴の一つであることを後で知って悔しがっても後の祭り。 眼医者の「自然に治る」を信じ過ぎ、眼の中央までふさがって物が見えなくなって初めておかしいと思うようでは遅すぎたのだ!
7月末、ようやく退院し娑婆の空気を久しぶりに味わったのだが、網膜が半分近くも剥がれていたのだから視力が完全には回復しなと思った方がいい・・・と主治医の先生に言われたことが耳に残っている。
でもそんなことは問題では無い。失明を避けられただけでもありがたいと思わなければ罰が当たるというものだろう。
これはまさに自分にとって「青天の霹靂」だったが、時折口にするこの言葉は一体どこから来ているのかふと気になってインターネットの「語源由来辞典」
http://gogen-allguide.com/se/seitennohekireki.html
を見てみると、もちろん「青天の霹靂とは、予想外のことや事件が突然起こること」であったが、その青天の霹靂の「青天」は雲ひとつない済んだ青空、「霹靂」は突然雷が鳴ることで、その由来は、「中国南宋の詩人「陸游(りくゆう)」が「九月四日鶏未鳴起作」の中で「晴天、霹靂を飛ばす」と表現したことによる。 「青天、霹靂を飛ばす」は、病床に伏していた陸游が突然起き上がり、筆を走らせた勢いを雷に喩えたもので、本来は筆の勢いを表した言葉であった」と出ていたのだった。