今日は昨日より幾分風が弱まったものの相変わらず寒い。この寒さに負けないようにウォーキングに出かけることにした。
このところの強い風で花びらが散り始めた酒々井総合公園の梅林、見ると水仙が申し訳程度に咲いていた。
谷間の芦原に下る途中、山の斜面にも水仙が咲いていた。 寒い芦原に今日は小鳥の姿も無い。
のどかな田園を歩く。 谷津田の奥に梅の花が咲いている。 どういうわけか町の田圃のいたるところで梅の樹によく出会う。
旧成田街道の坂道にやって来た。 昔はもっと狭い道だったのだろうが、それでもどことなく昔の街道の雰囲気が漂っていて好きな路。
道端に初春の田園を飾るホトケノザが咲いている。 オオイヌノフグリとヒメオドリコソウとこの花が野に満ち溢れる春ほど嬉しい季節は無い。 今日は野鳥の姿をあまり見かけなかったが、田園に響く春の足音が間違いなく聞こえていた。
2009年2月19日木曜日
2009年2月18日水曜日
印旛沼干拓田の散歩
今日は昨日の風も治まったが気温はさほど上がらない。 でも散歩にはちょうど良い気温なので印旛沼干拓田まで一回りしてくることにする。
坂上の旧成田街道近くの農家の庭先でミツマタの花が咲きだしていた。 毎年のことだが今年もこれを見たら「春だなあ~!」と嬉しくなる。
街道を横切り、坂を下って干拓田に出る。 田圃の畦は満天の星を見るようなオオイヌノフグリのお花畑になってきた。 この情景は春の幕開けの華やかな演出、 毎年繰り返される田園の春の喜びに満ちた贅沢な一瞬だ!
里山の縁にやって来た時、今年最初のスミレの花に対面! やっぱり春が来ているって言う実感が湧いてきて嬉しい限り。
里山の林の中に入ってみる。 この時期ヤマネコノメソウの花が咲き出しているはづ・・・と思ったから。 里山が整備されてやや乾燥気味なのか、昔のようにはこの花がなかなか見つからない。 しばらく探していたらやっとこの黄色い花を見つけることが出来た。 変わった形のこの花に会ふのも春の楽しみの一つなので会えて嬉しい。
急坂を登って携帯にセットした歩数計が9000歩を超える頃旧成田街道に戻った。 この街道の坂を下って行くと澄んだ空気の遥か彼方に筑波山が見えた。 昔はこの茶色に広がる田圃は無く、 広大な水面が広がる印旛沼の彼方に雄大なこの山が見えたに違い無い。 成田山を参詣する江戸の旅人はどんな思ひでこの風景を眺めたのだろう・・・・と想像するだけでも結構楽しい。。
坂上の旧成田街道近くの農家の庭先でミツマタの花が咲きだしていた。 毎年のことだが今年もこれを見たら「春だなあ~!」と嬉しくなる。
街道を横切り、坂を下って干拓田に出る。 田圃の畦は満天の星を見るようなオオイヌノフグリのお花畑になってきた。 この情景は春の幕開けの華やかな演出、 毎年繰り返される田園の春の喜びに満ちた贅沢な一瞬だ!
里山の縁にやって来た時、今年最初のスミレの花に対面! やっぱり春が来ているって言う実感が湧いてきて嬉しい限り。
里山の林の中に入ってみる。 この時期ヤマネコノメソウの花が咲き出しているはづ・・・と思ったから。 里山が整備されてやや乾燥気味なのか、昔のようにはこの花がなかなか見つからない。 しばらく探していたらやっとこの黄色い花を見つけることが出来た。 変わった形のこの花に会ふのも春の楽しみの一つなので会えて嬉しい。
急坂を登って携帯にセットした歩数計が9000歩を超える頃旧成田街道に戻った。 この街道の坂を下って行くと澄んだ空気の遥か彼方に筑波山が見えた。 昔はこの茶色に広がる田圃は無く、 広大な水面が広がる印旛沼の彼方に雄大なこの山が見えたに違い無い。 成田山を参詣する江戸の旅人はどんな思ひでこの風景を眺めたのだろう・・・・と想像するだけでも結構楽しい。。
2009年2月17日火曜日
新宿の富士山
昨日までの異常な暖かさが一転して、今日は朝から寒風吹きすさぶ真冬に逆戻り。 昔の友達から誘いがあって新宿のホテルに出かけた。 僕の「快気祝い」を名目に昼食会を開いてくれたのだ。
久しぶりの新宿、ビルの立ち並ぶ中をキョロキョロしながら歩くが、それにしても寒い!
ここに来たら東京都庁ビルの展望室に上らぬ手は無い・・と早速ビルの中に入る。
今日は物凄く見晴らしが良い。 昔見慣れた丹沢山塊の背後に聳える富士山が真っ白だ!
懐かしい奥多摩や秩父の山々も手に取るようによく見える。
こっちでは湯たんぽのような東京ドームの屋根も見える。
緑の森は「新宿御苑」だ!
こっちでは神宮の森が見える。 遠くには東京タワーや海も!
久しぶりの新宿、ビルの立ち並ぶ中をキョロキョロしながら歩くが、それにしても寒い!
ここに来たら東京都庁ビルの展望室に上らぬ手は無い・・と早速ビルの中に入る。
今日は物凄く見晴らしが良い。 昔見慣れた丹沢山塊の背後に聳える富士山が真っ白だ!
懐かしい奥多摩や秩父の山々も手に取るようによく見える。
こっちでは湯たんぽのような東京ドームの屋根も見える。
緑の森は「新宿御苑」だ!
こっちでは神宮の森が見える。 遠くには東京タワーや海も!
2009年2月15日日曜日
梅の花香る佐倉城址公園
今日も暖かいが、昨日の異常な暖かさで花は一気に咲いたのでは・・・と佐倉城址公園の梅林に行ってみる。
日曜日とあって結構な人出の自由広場の梅林は既に梅の花の色で煙っている。
梅林の中は梅の花の香りで一杯だ!
中でも艶やかなピンクの花は春を感じさせてくれて見ている顔が自然とほころんでくるようだ。
周囲に植えられたカワヅザクラの蕾も脹らんで、中には咲き出しているのもある。
公園を一周して姥が池に到着。 この池の上の梅林も日陰にもかかわらず咲き揃ってきていた。。
日曜日とあって結構な人出の自由広場の梅林は既に梅の花の色で煙っている。
梅林の中は梅の花の香りで一杯だ!
中でも艶やかなピンクの花は春を感じさせてくれて見ている顔が自然とほころんでくるようだ。
周囲に植えられたカワヅザクラの蕾も脹らんで、中には咲き出しているのもある。
公園を一周して姥が池に到着。 この池の上の梅林も日陰にもかかわらず咲き揃ってきていた。。
2009年2月13日金曜日
成田市の「電車路」
年初詣に出かける隣町の成田山、ここに向う通りの一つに「電車路」と呼ばれる路がある。 途中レンガ造りのトンネルが二箇所あり、何となくその雰囲気が感じられるのだが、その電車はいつごろ何処をどう走っていたのか長年気になっていた。
先日国土地理院から入手した昭和3年発行の2万5千分の1の「成田」の古地図を見てみると、なるほど成田駅から成田山の山門前と、宗吾霊堂のある宗吾へ向う「成宗電気軌道」が載っていたのだ! 当時の町の様子は現在とは全く違うが、何処を走っていたのかおおよその見当がつく。
ネットで調べたら、この電車は明治43年(1910)12月に成田駅と山門間が、翌明治44年(1911)1月に成田駅と宗吾間が開通、大正15年(1926)12月に成田まで延長された京成電鉄とほぼ並行していることもあり、昭和19年(1944)、戦時下にあっては不要不急路線と判断されて廃線になったという。
この古地図を見ていたら、現在の成田空港線と同じような所を通る「多古鉄道」なる鉄道が、同じ成田駅から出ていることが分かった。 そういえば昔芝山町や多古町にも鉄道が来ていたという話を聞いた記憶があるからもしやこれがそうかも!・・・と急に興味が湧いてきてネットで調べた所、県営鉄道の「多古線」と「八街線」というのがあったことが判明。
こちらは明治44年(1911)7月に成田と三里塚、同10月には三里塚と多古間が開通したとある。 そして大正3年(1914)5月には三里塚と八街間の八街線が開通しているのだ。 線路の幅も狭く軽便鉄道のようにスピードも遅かったと出ていたが、それでもこの路線は昭和初期まで続いたが、線路や車両が戦時物資の供出の対象になって昭和19年(1944)1月に全線休止、昭和21年10月に廃線になったのだという。
この地図の左の端の印旛沼を見ると、そこには現在の国道464号線は勿論、甚兵衛大橋も未だ載っておらず、そこには江戸時代さながらの「甚兵衛渡し」の渡し舟が通っており、 その南にも2箇所から渡し舟が通っていたことが分かるのだ。 今ではこの辺りを通る成田高速鉄道の高架橋の工事が急ピッチで進んで風景が一変しているが、 当時の湖岸はどんなにのどかな風景だったのだろう?・・・と想像するだけでも楽しくなってくる。
先日国土地理院から入手した昭和3年発行の2万5千分の1の「成田」の古地図を見てみると、なるほど成田駅から成田山の山門前と、宗吾霊堂のある宗吾へ向う「成宗電気軌道」が載っていたのだ! 当時の町の様子は現在とは全く違うが、何処を走っていたのかおおよその見当がつく。
ネットで調べたら、この電車は明治43年(1910)12月に成田駅と山門間が、翌明治44年(1911)1月に成田駅と宗吾間が開通、大正15年(1926)12月に成田まで延長された京成電鉄とほぼ並行していることもあり、昭和19年(1944)、戦時下にあっては不要不急路線と判断されて廃線になったという。
この古地図を見ていたら、現在の成田空港線と同じような所を通る「多古鉄道」なる鉄道が、同じ成田駅から出ていることが分かった。 そういえば昔芝山町や多古町にも鉄道が来ていたという話を聞いた記憶があるからもしやこれがそうかも!・・・と急に興味が湧いてきてネットで調べた所、県営鉄道の「多古線」と「八街線」というのがあったことが判明。
こちらは明治44年(1911)7月に成田と三里塚、同10月には三里塚と多古間が開通したとある。 そして大正3年(1914)5月には三里塚と八街間の八街線が開通しているのだ。 線路の幅も狭く軽便鉄道のようにスピードも遅かったと出ていたが、それでもこの路線は昭和初期まで続いたが、線路や車両が戦時物資の供出の対象になって昭和19年(1944)1月に全線休止、昭和21年10月に廃線になったのだという。
この地図の左の端の印旛沼を見ると、そこには現在の国道464号線は勿論、甚兵衛大橋も未だ載っておらず、そこには江戸時代さながらの「甚兵衛渡し」の渡し舟が通っており、 その南にも2箇所から渡し舟が通っていたことが分かるのだ。 今ではこの辺りを通る成田高速鉄道の高架橋の工事が急ピッチで進んで風景が一変しているが、 当時の湖岸はどんなにのどかな風景だったのだろう?・・・と想像するだけでも楽しくなってくる。






















