この日の朝、新聞と一緒に配達されたチラシの中の小冊子に目が留まった。
というのも、まるで日光の東照宮のような煌びやかな神社の写真が載っていたからだ。
ページをめくってみると、それは稲敷市に古くからあるという大杉神社の宣伝広告だったが、その社殿は昔から「あんば参れば日光見るに及ばず」と言われるくらい見事だったらしい。
こんな神社が近くにあるとは全く知らなかったので興味が湧いて、このところ風邪気味の体調不良であまり出歩きたくなかったが、「ほんとかいな?」 と気になって実際に行って見てくることにした。
利根川を渡り、広大な田圃の中を「こんな豊かな水田地帯だから豪華な神社を維持できたのかなあ~?」等と考えながら走っているうちに目的地に到着。あにはからんや厳かな気分になるような参道も無く、道路際からいきなり真新しい石灯籠と階段があって、その上に赤い鳥居が見えるのみ。
20段かそこらの階段を登ると
「大杉神社」と書かれた額があったので間違いなくここが目的地だと確認できた。
拝殿への入り口、神門を潜り見上げると、なるほど青や赤や金ぴかに彩色されている!
これは楼門。 まるで陽明門みたい?
これが拝殿。
おおよそ20km圏内に大きくて重厚な鹿島神宮や香取神宮があるのだが、ここはそれ等ほど大きくない。
でも日光以外にこんな神社があったとはほんとに驚きだった!
これは悪い縁を切ったり、厄を除けたりするために割った「かわらけ」の奉納場所!
こういう風習があるのか!・・と初めて見たので感動!
拝殿の後ろの幣殿と本殿の屋根もきっちり彩色されている!
これは又見事に彩色された瑞垣! 孝行な人々を描いた説話集の「二十四孝」を題材としたという彫刻が施されている!
裏手の方にはスダジイの巨木近くにお稲荷さんも祭ってあった。
それにしてもこんな所に極彩色の神社がどうして?・・・と知りたくなる。
小冊子によると、おおもとは縄文時代の当時は海に面した岬のような地形のこの阿波(アバ)地区が、茨木から千葉にかけて住んでいた海洋民族の海や河の安全祈願をする地域信仰の場所だったとのこと。
古来「あんば様」と呼ばれて親しまれていたらしいが、 奈良時代に神社として祭られるようになり、江戸初期に輪王寺や寛永寺の住職だった天海和尚が隣接する安穏寺の住職となったことや、四代将軍家綱が灯篭を奉納していることから考えると、幕府の手厚い庇護を受けていたのかなあ~?・・・・と勝手に想像。
でもこの豪華絢爛な神社が今なお維持されていることを考えると、今なお様々な願いを込めて参拝する人が多いからかもしれない。
変わった所では、JRA美穂トレーニングセンターが近いこともあって、境内の勝馬神社に参拝するJRA関係者や競馬ファンも多いのだというから面白い。
(カメラ:X-T2)
(レンズ : XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS))