2010年8月28日土曜日

ボタンヅルの花

去年は晴れた日が少ない寂しい夏だったと記憶しているが、今年は一転して焼きつくように凄まじい陽光が照りつける日々が長期間続いている! こんな夏の暑さを体験した記憶はないので下手をすると熱中症になりはしないかと動き回るのをためらってしまうほど。
今日も真っ青に晴れた空から降りそそぐ陽光が肌を刺すように照りつけていたが、もう8月の最終土曜日、田圃の稲刈りの季節の始まりと同時に、先日見かけたボタンヅルの花の蕾が一斉に開き始める頃だなあ・・・と我が町周辺の印旛沼干拓田へ出かけてみた。
広大な干拓田にやってきて見渡してみると、既にちらほらコンバインの姿がある!
望遠で覗いてみるともう稲刈りが始まっているようだ!
さっそく近くに行ってみると稲刈り中の田圃には例によってシラサギが群れていた!


今度は先日ボタンヅルの花の蕾を見た飯田地区に移動。 
いきなり目に飛び込んで来たこの情景にびっくり! おびただしいボタンヅルの花が荒れ地の奥の藪まで覆っている!
この地域ではセンニンソウは普通にあちこちで見かけるが、ボタンズルに会える場所はこの荒れ地以外にはほとんど無い。 ほんとに珍しい貴重な場所である。
真夏に咲くこの白い清楚な花の姿はセンニンソウそっくりだが、葉は丸くなくて切れ込みがあるので直ぐ判別可能なのだ。
今年は一段と勢力範囲を広げている。 この荒れ地が何時まで存続するのか分からぬが、いつまでもこの姿を見せてほしいもの。


ふとこの先の三叉路の真ん中に立つ年老いた榎を思い出し行ってみる。
通るたびにこの老木を眺めるのだが、 この地域の歴史を見守ってきたこのが何か語りかけているような気がして・・・。

2010年8月25日水曜日

残暑の里山の秋の花

いよいよ8月も終盤、暑い夏もお仕舞になって欲しいものだが一向にその気配が見えなくて今日も焼けつくような暑さ。 もう里山にはツリガネニンジンコマツナギなどの秋の花が咲きだしている時期だったことを思いだし、早速見に行ってみることにした。
稲がたわわに実ったこの谷津田の奥の斜面に今何が咲いているかなあ・・・とわくわくしながら進んで行った。
汗がしみる目に最初に飛び込んできたのはこのオトギリソウ。 なんだか久しぶりに出会った気分で嬉しくなる。
今度は山裾の草むらに咲くピンクの花が目に入る。 お目当てのコマツナギだ! 以前は大好きな秋の花・・と思っていたが、こんな暑い時から咲きだすことを知ってから未だ10年は経っていないだろう。
こっちではツリガネニンジンと一緒に咲いている!
見回すと、この暑いのに斜面のあちこちにツリガネニンジンが咲いていたのだ。
なんともうワレモコウの花も咲いている!
更に斜面を見上げるとこのアキノタムラソウの花が目に入る!



それにしても暑い! 額から汗が流れ落ち、背中は既にびっしょりだ。 急いで車に戻ってエアコンを効かせ別の里山に移動する。 今度のお目当てはクサフジの花だ。
到着した山の斜面の草薮で最初に目に入ったのがこのガガイモの花。
近くにはこのヘクソカズラの花も咲いている! この花、他に「ヤイトバナとかサオトメカズラ」という良い名があるのにいつも変な名で呼ばれて気の毒なことだ・・と思ってしまう。
探していたら遂に草むらの中にクサフジの花を見つけた!
急な斜面のむせかえる草をかき分け、ようやく目の前に姿を現したこのクサフジの花を撮る。 この花に出会ったのは随分久しぶりで懐かしい気がするがどうだろう・・・・。

2010年8月23日月曜日

坂田ケ池と風土記の丘

ここ数日幾分猛暑も収まったかなあ・・と思ったので今日は蓮の花キツネノカミソリを見たくて坂田ケ池房総風土記の丘に行ってみたのだが、なんと今日は又猛暑がぶり返して目が眩むばかり。
途中新しく開業した成田高速鉄道の白い橋脚が貫く北印旛沼近くの田圃は稲が暑そうに穂を垂れていた!




やがて坂田ケ池に着いて蓮の花を求めて池の中央にある浮橋に向かって歩いた湖畔の暑さは半端じゃない!
東屋近くでこの白と赤の睡蓮が目に入った。
水際にこの黄色い花も咲いていた。 秋の田圃でよく見かけるアメリカミズキンバイ(ヒレタゴボウ)がもう咲いている!
でも見渡す池は既に蓮の花の最盛期がとっくに終わっていた。  暑い盛りに咲くここの蓮の最盛期をまだ見たことがないのがちょっと心残り。
じっくり探してみると大半が実になっている中で、葉陰にこの白い花が咲き残っていた!
さらに探してみると、このようにしっかり咲いているのもある!
浮橋を渡るとようやくこのピンクの上品な花に出会うことができた!
近くで見るとほんとに上品でうっとりしてしまう。
この花も、広い池の中で数少ない花の一つ。
やっと見つけたこの花も・・・。
この暑さに鴨も木陰で涼んでいた!
坂田ケ池を後に、今度は風土記の丘の里山に足を踏み入れてみた。 キツネノカミソリがお目当てだ!
咲いてる咲いてる! 林の中にキツネノカミソリのオレンジ色の花が映えている。
この風景だけを見ていると涼しげだが、風の通らぬ林の中の暑いこと!
それにしても林のあちこちにこのキツネノカミソリが咲いている! この暑いのによくこんなに咲くものだ!・・と感心してしまう。

2010年8月20日金曜日

もう既に実りの秋 ?!

今日は久しぶりに猛暑から解放されてほっと一息、ふと様子を見たくなって久しぶりに印旛沼周辺の田園を見に行くことにする。 もちろん、猛暑じゃないけど散歩するには辛いので車で出かけた。
車の置いてある駐車場前の公園に、このタカサゴユリが一本だけ咲いているのが目に入る。 一瞬この花は今頃だったかなあ・・・と思ったが、確かにテッポウユリが7月中旬に咲いて、この花が暑い最中に咲いていたことを思い出す。
先ず近くの谷津田に行ってみた。 なんともう既に稲穂が重そうに垂れていた!  しばらく見ていなかったが、もう8月も末に近いのだから
もうこんな季節になってもおかしくないのだ。
田圃の片隅にこのコスモスが植えられていた。 この花を見ると未だ夏の真っ盛りなのになんとなく秋を感じてしまう。
山際にはミソハギも植えられている! 人気のない谷津田を飾る姿が何とも奥ゆかしく思われる。
キツネノカミソリが咲いてる!  この花の季節だったことをすっかり忘れていたので出会ってびっくり。
そういえばヒガンバナは秋のお彼岸に咲き、このキツネノカミソリは旧盆の時期に咲くのだ! 花の少ない暑い盛りに咲くこの花に出会うと嬉しくなる。
印旛沼の干拓田に出る。 広々とした田圃はまさしく実りの秋! もうすぐコンバインが忙しく行き交ってシラサギの群れがやってくるのだ。
田圃の畔で今年の異常な暑さに耐えて生き残った数少ないツユクサの花、「よう頑張った!」と声をかけたくなる。

2010年8月15日日曜日

終戦記念日に思い出すこと

今年は何時になく猛暑の日が続いて体がついてゆけない感じ。 お陰で写真を撮る元気もないのでこのPhoto日誌からすっかり遠ざかっている。

それでも終戦記念日が近づいてTVで毎日のように昔の戦争体験談や戦争の記録が放映されることが多くなると、未だ国民学校に上がるか上がらない幼い目に焼き付いた様々な当時のことを思い出して暗い気持ちにさせられる。

「悠然と飛ぶB-29の編隊」
あれは国民学校の1年生になったばかりの頃ではなかっただろうか、日々艦載機の機銃掃射が激しくなって、通学途上の生徒が犠牲になり出して学校には行かず、近くの農家の馬小屋が分教場だった頃の事だったと思う。 
空襲警報のサイレンが鳴って、真っ暗な夜空に幾筋もの探照灯の光が照らすスポットライトの中をウォーンウォーンと鈍いエンジン音を轟かせて悠然と飛ぶ銀色のB-29爆撃機の編隊を、「トンボが飛んでるみたい!」と防空壕の前の土嚢の上に登って眺めた記憶が今でも鮮明に蘇る。 成層圏を飛ぶB-29の姿が見えても高射砲の発射音がしないのを当時不思議に思っていたのだ。 当時の高射砲は成層圏までとどかなかったのだ・・と知ったのは物心ついてからだった。

「博多の町が燃えた!」
これも恐らく終戦の年、国民学校一年生の記憶だと思うが、 例によって空襲警報のサイレンが鳴って真っ暗な夜空に幾筋もの探照灯の光が交錯する中現れたB-29爆撃機の編隊がバラバラと焼夷弾を落とし始め、博多の町が見る間に真っ赤な炎に包まれていったのだ。
暗闇を真っ赤に染める炎と花火のように炸裂する焼夷弾の閃光と炸裂音、家の台所の窓から固唾を飲んで眺めていたこの情景は未だに瞼に焼き付いている。
何時だったか、「戦争と平和」の映画の「モスクワが燃える!」という1シーンを見ていて、ふと博多の町が燃えた時のことを思い出し感傷に耽ったことを思い出した。

「艦載機、グラマンの襲撃!」
これも終戦間際の事だったと思うのだが、 例によって空襲警報のサイレンが鳴ったのもつかの間、ズシーン、ズシーンと家を震わせる爆弾の炸裂音が近づいて来たのだ! 何時でも避難できるよう身支度を整えていた母に手を引かれ、先ずは庭に掘った防空壕に避難はしたものの爆弾の音はますます近くなって子供心にもその恐怖心は最高潮、乳飲み子を背にした母に手を引かれて100m程先の山の防空壕へ決死の脱出。
その途中、突如正面の山の上から超低空で現れたグラマン戦闘機の編隊に遭遇してしまう。 とっさにイモ畑に伏せた母に促せれて自分も伏せながらも飛行機が気になって見上げると、機体を離れて飛んでゆく黒い爆弾と、操縦席の風防の中に操縦士の顔がはっきり見えたのだ! 
この辺りまでは子供心にも余程強烈な印象だったのか記憶が生々しいが、「あの爆弾はなぜ下に落ちてこなかったのか?」と子供の頃はずーっと不思議でならなかった。
物心着いてから「何秒か後に爆弾の炸裂する轟音がして爆風で体が浮き上がり、生きた心地がしなかった・・と母から何度も聞かされた。

「特攻隊」 
米軍の攻撃目標だった板付飛行場の直ぐ前ということもあり爆撃や機銃掃射が絶えなかったが、子供心にとって憧れのような存在だったのが「特攻隊員」。
花や写真や日の丸の旗を飾った家の前で、頭に日の丸の鉢巻、襟元に白いネッカーチーフを巻いて敬礼をして家族や村人に見送られ、颯爽と軍の車で去ってゆく「かっこいい特攻隊員」を近所で何度か目にした記憶がある。
しばらくすると目の前の飛行場を飛び立った特攻機は自分の家の上空で翼を左右に振りながら何回か旋回し、やがて何処かへ飛んで行った。 それが又子供心には「かっこいい!」と憧れの的だった。
ところが物心ついてその悲惨さとご家族の悲しみを知ってからは、思い出す度に胸が締め付けられるようになっていた。

戦争体験者が少なくなって戦争の怖さ虚しさ愚かさを伝えることが次第に難しくなっている。なんとか多くの若い人達に分かってもらえれば有り難いのだが・・・。