久しぶりにしまってあった懐かしい古いカメラを取り出してみた。 「オリンパス ペンF」と「M-1」である。
中でも「オリンパス ペンF」は何度と無く山登りのお供をしてくれたお陰で、あちこちに岩にぶつけた傷跡があるのだが、未だちゃんと動くのだ。
「M-1」はというと、こちらは山へのお供が無かったので未だ外観は綺麗だ。 34年前、「オリンパスOMシリーズ」の最初に登場した一眼レフだが、ライカからのクレームで「M-1」と言う名は発売後間もなく「OM-1」と改名され、継子扱いにされたような気がして当惑した記憶がある。
思ひ出深い「ペンF」は、確か今から44年前、昭和38年に会社に入って間もない頃に購入した。
当時、趣味の山登りで出会う高山植物を、学生時代にアルバイトして購入したリコーのレンジファインダーカメラで撮っていたのだが、小さな花はどうしても満足に撮れない。 こんな時、一眼レフがあったらなあ・・・と思っても、当時の初任給は16,800円、とてもじゃないが「高嶺の花」で高級カメラを買える身分ではないと諦めていた。
そんな時、オリンパスが世界で最初の35mmハーフサイズの一眼レフを発売したのだ。 値段ははっきり覚えていないが、確か3ヶ月分くらいの給料と同じくらいだったような気がする。 このカタログを取り寄せて眺めているうちにどうしてもそれが欲しくなってしまった。
それでも直ぐに買えるほど貯金も無かった。 僅かな給料の中から懸命に貯金して、多分発売から1年位後にようやく手に入れた・・・と記憶している。
それ以降、貯金が溜まるたびに100mmの望遠レンズや露出計を買い足して、山登りにいつも持って行くようになっていた。
このカメラの傷の一つ一つが山の思ひ出とつながって、優しく撫でてあげたくなる。 当時使っていた外付けの露出計も出てきたのだが、使い方をすっかり忘れている。 錆付いて出てきた電池は今ではもう存在しないMR9という酸化銀ボタン電池。 何時だったかこの電池の代替品を探していたら「MR9アダプター」というのを見つけて買ってあったこと思い出し、装着してみると意外と針が動いたのだ。
たまたまISO400のフィルムがあったので装填して試し撮りを試みた。
露出計を見るが使い方を忘れて良く分からない。 見当をつけてシャッターを押してみると、カシャッ!と大きな音がして思わず「びくっ!」。 えっ、こんな音がしてたんか・・と感慨ひとしおだ。
それにしてもどうも露出設定が腑に落ちない。 目一杯絞って目一杯高速にしても追いつかないのだ。 たしかに明るい日向ではISO400だとかなり絞って高速シャッターになるとは思うのだが、デジカメの世界にどっぷり漬かっているせいか、「フィルムは直ぐ確認できないのが困る」・・等と思ってしまう。 ちなみにこのカメラ、最高シャッタースピードは1/500、レンズの最高絞りはf=16だから追いつかないのは当然かも知れない。 当時のフィルム感度はASA100以下が普通で一定以上明るい時はフィルターでの調節が当たり前だったのだろう。 それにしてもISO400は貴重だったから、暗い時はかなりぶれ易かっただろうなあ・・・と思う。