2011年9月24日土曜日

田園の秋の草花

今朝、久し振りに青空が覗いたので僅かな時間の合間を縫って急ぎ近くの田圃に行ってみた。 今年の秋は涼しくなるのが早いので田園の草花が気になっていたからだ。
 
稲刈りで忙しげに動き回るコンバインのエンジン音が響いていた田圃は既に稲刈りも終って静まり返っている。 もうツリフネソウが咲いているはず・・といつもの群落地に行ってみることにした。
いつもの場所に行ってみると、ツリフネソウは既に一面に咲き揃っているようだ!
早速草むらに足を踏み入れてみた。
今年の秋は涼しくなるのが早かったせいか、咲き揃うのも早いのかも・・・
近くで見るとこの花はほんとに変わった形の花だ!・・と感嘆してしまう。
ヒガンバナも咲いてるはず・・・と例年なら幾度となく歩いている里山の小径を行く。
やっぱり咲いている!・・と急いで近くに行ってみる。
こちらは未だ咲きだしたばかりのようだ。 例年なら24日ともなれば満開のはずだが・・・今年は夏の終わりが寒かったからだろう。
もう数日すれば満開になりそうだが・・・
アップで画面いっぱいに撮ってみたくなり開ききった花を探して撮ったのがこれ! 
ヒガンバナを楽しんだ後はちょっと足をのばしてツリガネニンジンが群落する里山に行ってみることにする。
今年もこの山の斜面はツリガネニンジンの花盛り! 去年来たときは猛暑で大汗をかいて写真を撮ったが、今年は何とも秋らしい爽やかな陽気、秋はこうでなくちゃ・・・等と勝手なことを思いながら花を巡る。
ワレモコウもあちこちに咲いている! この花を見るとほんとに秋が来たなあ・・・と感じてしまう。

2011年9月8日木曜日

稲刈りの印旛沼干拓田

最近は家に閉じこもっていることが多かったのだが、昨日病院に定期健診に行く途中、既に田圃の稲刈りが始まっているのを見て急に季節を思い出し、 この季節の田圃の景色を無性に撮りたくなってきた。
そんなわけで今日の午後、介護の時間を見計らって印旛沼干拓田に行ってみた。
もう既に空は秋空、広々とした干拓田には重そうに穂を垂れた稲が収穫を待っている。
場所によってはこのように既に稲刈りが終わって案山子だけが立っている田圃もある。
中央水路の北端にやってきた。 今日は秋を思わせる爽やかな陽気だが、この水路の景色は未だ夏の景色。
傍らの芦のてっぺんではこちらの様子をうかがうノシメトンボが止まっていた。
ここは北印旛沼の川魚漁の舟溜まり。 暑い日中は静かなものだ。
ふと見上げた空に飛行雲! 9月に入ったばかりというのにもう秋が来たのだろうか・・・
稲刈りのコンバインに集まるシラサギが見える! この情景もこの時期の風物詩、時の経つのを忘れて眺めていた。




そして夜、外がいやに明るいと思ったら煌々と月が輝いていた。
思わず見とれてしまうような明るいお月様、満月にはもう数日だろうが久し振りに撮ってみたくなって取り出した400mmズームレンズ(35mm換算だと640mm)で撮ってみた。 それにしても今日の空はこの時期としては珍しく澄んでいる!

2011年9月1日木曜日

放射線の影響(外部被ばく)をどう考える?

1.放射線は分からないから怖い!
原発事故の放射能の影響を受けやすい幼児を抱えるお母さん方はいずれも不安に駆られて気の休まる日もない毎日を送っていることでしょう。
我が家の孫の家も同様です。 0歳と5歳の孫を抱えた二男の嫁さんも、事故後の放射能汚染でパニック状態に陥っていることが時折覗く彼女のブログでよく分かります。

 大津波に襲われて原発が破損したニュースが流れ、大破した原発から水蒸気が噴き上がる様をTVで見た多くの人々が放射能汚染の広がりがどうなるのか気が気でなかったにも関わらず、誰もが納得できないような楽観的コメントを流すだけで詳しい情報を一切公表せず、国民をつんぼ桟敷に置いていたのだからパニックが起こっても仕方がないことです。 
 放射線は目に見えないし、何処にどのくらい飛んできてどんな影響がでるのかも分からないのだから人々が疑心暗鬼になるのは当たり前だと当局者が気づかないのが情けなく思われます。 批判やパニックを恐れて隠すのは全くの逆効果だと知るべきでしょう。 

お盆休みで孫たちを連れて里帰りの嫁さんが開口一番、「心配でたまらなくて放射線量計を買いました」と取り出して見せてくれました。 「今住んでいる家は0.1µSV位だけど、ここは0.04µSVと低いですね!」・・と安堵した表情。 それがどれ程の意味を持っているのか分かって言っているとも思えないのがなんともむなしいだけでなく悲しくさえありました。

2. 一体放射線ってどんなもの?
 放射線を怖がって手をこまねいていても仕方がないので「ともかく敵を少しでも知らぬことには話にならない!」・・・と、ネットの情報を色々当たってみた結果、おおよそのことが分かってきました。

* 一般公衆が1年間にさらされてよい人工放射線の限度は1ミリシーベルト

だが、それがミリでなくただのシーベルトになると下のように恐ろしいことになります。
* 1時間に7シーベルトを浴びると99%の人は死亡
* 1時間に4シーベルトを浴びると50%の人は死亡
* 1時間に2シーベルトを浴びると出血、脱毛、5%の人は死亡
* 1時間に1シーベルトを浴びると急性放射線障害、吐き気、嘔吐、水晶体混濁
* 1時間に500ミリシーベルト(0.5シーベルト)を浴びるとリンパ球が減少


ただし、1時間に200ミリシーベルト以下の被ばくでは急性の臨床的病状は認められない
ということになっているようですが、低い放射線の長期的な影響については未だ議論のあるところらしいです。

 こう見てみると、放射線障害は火傷によく似ているように思われます。 火傷もその受けた範囲や深さによって細胞の破壊される程度が変わり、表皮が上手く再生できる軽傷から跡がケロイドになったり死に至る重傷までさまざまなグレードがあるからです。 
 放射線にはX線やγ線のように物を透過しやすい電磁波と、比較的物を透過しにくい粒子線のα線やβ線など、お馴染みの紫外線や赤外線と同じような性質のものがあります。
 紫外線での日焼けは放射線による細胞破壊という火傷の一種ですし、比較的温度が低くても遠赤外線を出す発熱体を長時間当てていると低温火傷を起こして細胞破壊に至ることもあるのと同様に、低い放射線でも長時間浴びていると何らかの障害を細胞に与えても不思議はありません。 だが、どれくらいの量をどれくらい長く浴びるとどう影響があるのかとうデータが未だ十分でない為に、原爆被害者認定の裁判の場でもしばしば論争の種になることがあるようです。
 それはともかく、γ線などの怖さは火傷と違って内部まで貫通することのようです。 逆にこれを有効利用したのが体内の癌細胞を放射線で焼き殺す新たな治療法ですが、間違って的を外したり意図せずに体内に入ってくる放射線が良い細胞や遺伝子を破壊したりしてしまうとしたらこれほど怖いことは無いのです。 遺伝子が壊されて癌になりやすい体質になるのは御免こうむりたいことですから。

3. 日々報告される放射線量は安心か?
 現在各地で毎日発表されている時間当たりの放射線量は、低い所で0.04から0.05、高い所では0.1マイクロシーベルトを超える所もあるのですが、果たしてこの値が問題あるのか無いのか、住んでいる場所や周囲の値はどうなのか・・・と多くの人が心配しているに違いありません。
 この放射線、事故発生当初は水道水に溶け込んだ放射性ヨウ素を問題にしていましたが、最近は地上に積もった半減期が30年以上のセシウムが主なものになっていて、長期間被ばくする影響が心配なのです。 これは農水産品にも影響しているので内部被ばく要因としても大きな心配の種になっているのです。

 だが意外なことに身の回りには普段からいろんな放射線が溢れていて、人は知らないうちに年平均2.4ミリシーベルト位の放射線に被ばくしているのだというのです。 宇宙からは宇宙線が飛んできているし、地中からはラドンという放射性元素の気体が結構多量に発生して辺りに漂っているらしいのです。 それのみならず普通の食べ物からも放射線は出ているというのだから驚きです。 
 他にも、同居人の吸った煙草の煙から年間1.2ミリシーベルトの放射線を受けるというし、海外旅行をすれば往復の飛行機で0.2ミリシーベルトの放射線を浴び、町の集団検診の胸部レントゲンでは0.1~0.3ミリシーベルト、胃のX線検査では4ミリシーベルト、病院ではX線CTだと7~20ミリシーベルト、CTスキャンで6.9ミリシーベルトと結構大量の放射線を浴びているそうです。 
 一般人の人工的放射線の年間被ばく限度が1ミリシーベルトと定められているとは言っても、これでは簡単に限度をオーバーしてしまうのではないかと思います。 オーバーすれば将来的にどんな影響が出てくるのか今の段階では誰にも分からないことですが、逆に言うと、それ故ほとんど影響が出ない極めて安全な値を基準にしたのであって、あまり厳密な根拠があって突き詰めて決められたものでは無い可能性が高いのでは・・・と思わずにはいられません。

そうは言っても、とりあえず今発表されている放射線量を長期間被ばくしたらどれ位の値になるのか時間の経過と被ばく量を計算してグラフにして眺められるようにしてみたのがこれです。(クリックすると拡大表示)

 
 これを見ると、日々の値が毎時0.114マイクロシーベルト以下であれば問題がない限度と指定された1ミリシーベルト以下の被ばく量に収まることが分かるのですが、先に述べたように日常的に意図せずに受けている様々な放射線被ばくのことを考え合わせると、日々報道されるグラフ上のイエローゾーンの値が、基準の0.114マイクロシーベルトを多少オーバーしているからと言ってあまり神経質になる必要も無いように思います。

 それよりなにより、日々報道される何処で測ったか分からぬ値よりも、地域の放射線量をきめ細かく測定して速やかに公表し、自宅周囲や公共施設等の放射線量やホットスポットの有無を心配している住民全員が共有して安心できるようにすることこそが急がれるべきことだと思います。

(注)グラフ下端に記入してある「定住可能限界放射線量?」はこの位なら日常的に受けている範囲では・・と単なる目安のつもりで書き入れました。 「滞在時間限定領域」に関しても単なる推定領域ですが時間までは判断出来ませんでしたのでご了承ください。

2011年8月29日月曜日

マクロで覗いた庭の花

夕刊を取りに行ったら、郵便受けのそばに置いてある鉢植えのタマスダレが咲いているのを見つけた! 8月ももう終わりの今頃この花が咲くとは・・・とちょっとびっくり、見ているうちに無性に写真を撮りたくなって100mmマクロを着けたカメラを持ち出した。 
そういえば随分長いことカメラに触れていないのでカメラの触れただけでうれしくなる。 ファインダーを覗いてみると右目は未だ視力が十分でないので左目を使うことにする。
早速このタマスダレの花にレンズを向けた。 シャッターを切る瞬間のちょっとした緊張感と、モニターの画像を確認するわくわく感を思い出す! やっぱり楽しい!
見ると雑草が伸び放題の我が家の狭い庭のあちこちにこのハゼランが咲いていた。 今年は草むしりをさぼったおかげだろうか・・・。
夕方にしか咲かないのでこの小さな花が咲いていることに気が付くのが遅れがち。 見つけると無性に撮りたくなる花の一つだ。
陽が陰りはじめる3時過ぎ、風に揺れる細い枝先の小さな花を撮るのは結構難しい。 藪蚊の襲撃の中、ボケずに撮れるまで飽きずに撮り続けているのだから我ながら呆れるばかり。
撮り出したらもっと撮りたくなった。 他に何か撮るものは・・・と辺りを見回すとこのゲンペイカズラの花が目に入った。 あまり形の良い花では無かったがこれしか咲いてなかったので我慢する。
更に何か無いかと草薮になっている小さな花壇の中に目を凝らすと、このシュウカイドウが咲いていた。 この花、草薮の中のあちこちにはびこっているようだ。
ヤブランも咲いていた! 
この花も群生していると見事なのだが・・・。
先日見つけた萩の花も記念にマクロで撮ってみた。

2011年8月5日金曜日

青天の霹靂!

先月、この言葉がぴったりの出来事がわが身に起こった。 というのも、6月中旬に突然右眼に違和感が生じ、7月に入ってから急に物が見え辛くなって成田日赤病院を訪れ、即手術が必要な網膜剥離と宣告されて緊急入院、 7月13日に手術して30日まで安静を強いられてしまったからなのだ。

というわけで、今回わが身に起こった出来事の顛末を記録しておくことにしよう。
ことの起こりは6月20日頃、この写真のように右眼に何やら砂粒のようなゴミが急に増え、上の方に靄がかかったような感じがしたことだった。
このようなことは4-5年前にも経験したことがある。 その時は確か車を運転している時だったと思うが、左眼の中に突然パラッ!と黒くて細かい砂粒のようなものが大量にまき散らされ、驚いて近くの眼科医に飛び込むと、網膜に穴が開いて血液が眼の中にとび散ったのが原因、「網膜剥離を起こすと失明する可能性もあるので直ぐにレーザーで穴を塞きましょう」とその場で直ぐ手術をして事なきを得たのだ。
そんな経験もあることなので、この写真のように違和感が増してきた6月27日、今回も又網膜に穴があいたのかもしれない・・・と思いながら、混雑する近くの眼科医を避けて隣町の眼科医に行って診てもらった。すると、「眼底検査では何も異常は見当たらないので加齢による飛蚊症でしょう。 数か月で眼の中のゴミは自然吸収されるから心配ない」との診断。 違和感が引き続きあったものの、とりあえず一安心と胸をなでおろして帰宅した。
やがて7月に入って4-5日経ったころ、なんだか上瞼の縁にはっきりと暗幕が降りてきたような感じで視野が狭くなり違和感は次第に強まって来たのだが、この時点でも未だ「そのうち自然に吸収されて綺麗に治る」という医者の言葉を信じて疑わなかったのだ。 ところが7月9日頃になると、
遂にこの写真のようにますます暗幕が下に降りてきてなんだか様子がおかしい・・・とようやく不安になってきた。 次第に吸収されて綺麗になるどころか、どんどん見え辛くなっている感じなのだ。 この状態は普通じゃないのでは? もしかしたら白内障の手術で入れたレンズの位置がずれてしまったのかなあ?…などと不安がつのってきた。
翌10日の日曜日、庭のヤマユリの花が咲きそろってきたのでカメラに収めようとファインダーを覗いたら、なんと何も見えないのでびっくり! 左目で覗くとちゃんと見えるので「これはやばい!」・・とこの時点で初めて怖くなってきた。
この時の眼の状態は、中心まで暗幕が下がって見たいところに眼を動かしても物がよく見えなくなっていた。 その時点での物の見え方はこの写真のような感じ、上半分に暗幕が掛り眼の中心は暗幕に隠れて見たいものを見ようとしても見えず、下の明るい部分をぼんやり感じるだけになってしまったのだ。

7月11日(月)、朝一番に急遽紹介状も無いのに成田日赤病院に飛び込んで事情を話したところ、ともかく緊急に診てくれることになってほっとする。 
結果はまさかの網膜剥離、処置が遅れると失明するというのでほんとにびっくりしたが、「直ぐ手術しましょう」と言われ翌日入院、翌々日には4時間に及ぶ緊急手術を受け、30日迄病室でベッドにくぎ付けの絶対安静を強いられたのだった。 

実を言うと、日赤に駆け込んだ時は既に眼底の半分くらい剥離が進行していたらしい。 違和感が生じた初期段階に直ぐ精密検査を受け、処置していればもっと簡単に治すことが出来たらしいのだが、破れた場所が眼底最下部の見難い場所だったこともあり町医者では発見できなかったのかもしれないし、日赤の看護士の話では網膜剥離を起こすのは1万人に一人位とのこと、滅多に無いことなので眼医者は油断して細部までよく診なかったのかなあ・・・・などと思ってしまう。 

それはともかく、網膜剥離の症状がどんなものか全くと言っていいほど無知だったことが処置を遅らせた大きな要因だろう。 
「最初瞼の縁が霞んだような感じだったのが、時間の経過とともにカーテンが降りてくるように視界が狭まってくる」というのが網膜剥離の特徴の一つであることを後で知って悔しがっても後の祭り。 眼医者の「自然に治る」を信じ過ぎ、眼の中央までふさがって物が見えなくなって初めておかしいと思うようでは遅すぎたのだ!

7月末、ようやく退院し娑婆の空気を久しぶりに味わったのだが、網膜が半分近くも剥がれていたのだから視力が完全には回復しなと思った方がいい・・・と主治医の先生に言われたことが耳に残っている。
でもそんなことは問題では無い。失明を避けられただけでもありがたいと思わなければ罰が当たるというものだろう。

 これはまさに自分にとって「青天の霹靂」だったが、時折口にするこの言葉は一体どこから来ているのかふと気になってインターネットの「語源由来辞典」
http://gogen-allguide.com/se/seitennohekireki.html
を見てみると、もちろん「青天の霹靂とは、予想外のことや事件が突然起こること」であったが、その青天の霹靂の「青天」は雲ひとつない済んだ青空、「霹靂」は突然雷が鳴ることで、その由来は、「中国南宋の詩人「陸游(りくゆう)」が「九月四日鶏未鳴起作」の中で「晴天、霹靂を飛ばす」と表現したことによる。 「青天、霹靂を飛ばす」は、病床に伏していた陸游が突然起き上がり、筆を走らせた勢いを雷に喩えたもので、本来は筆の勢いを表した言葉であった」と出ていたのだった。