一昨日、庭の梅の樹が2輪の花を付けているのを見つけたばかりなのに、このところの暖かさで一気に咲き出して今日見たらもう10輪以上咲いていた。
このまま行くと、数年前のように駆け足で春が行ってしまわないかと気が気でない。
隣の斑椿は・・と見てみると、こっちももう咲き始めている!
何処よりも遅い我が家の庭の花達だが、咲くのが今年は異常に早い。
ボケはどうかと覗いてみると、今にも咲きそうなほど蕾が大きく脹らんでいた。
年が明けてからも真っ赤に紅葉した葉を落とさずにいた隣のブルーベーリーを見てみると、こちらも花芽が大きく脹らんでいる。
こう暖かいと、休む間もなくけなげに生命の営みを続けなければならぬらしい。
冬と言うのに次第に葉を茂らせてきたクリスマスローズ、葉の陰を覗いてみると既に大きな蕾が育っていた。
2007年2月10日土曜日
2007年2月8日木曜日
今日も昼間はポカポカした陽気になって、 例年、この辺りで一番遅く咲き出す庭の梅が2輪咲いた。
こんな陽気だと宗吾霊堂の梅はもうだいぶ咲いているに違いないと、このところ何処にも連れて行ってなかった母親を誘って見に行くことにした。
つい先日、節分で混みあった境内はいつもの静けさに戻っている。 門前の土産屋は開店休業のように人気が無い。
俳句の吟行でしばしばここを訪れたという母親が、昔を思い出すようにゆっくり補助カートを押して行く。
門を入った本堂脇に紅梅が綺麗に咲いていた。 近くに行って見上げてみると、 もうだいぶ咲き揃っている! お堂の裏手に回って行くと、白梅が目に入った。 もうこんなに咲いているとは!・・とちょっとびっくり。
今年はほんとに暖かいのだ! 桜の花のような華やかさは無い梅の花、待ち遠しい春の光を控えめに伝えてくれてれるのがなんとも嬉しい。
門を入った本堂脇に紅梅が綺麗に咲いていた。 近くに行って見上げてみると、 もうだいぶ咲き揃っている! お堂の裏手に回って行くと、白梅が目に入った。 もうこんなに咲いているとは!・・とちょっとびっくり。
今年はほんとに暖かいのだ! 桜の花のような華やかさは無い梅の花、待ち遠しい春の光を控えめに伝えてくれてれるのがなんとも嬉しい。
2007年2月5日月曜日
珍鳥発見!?
今日の日中はほんとに暖かくなった。 こんな陽気ではいろんな花が一斉に咲き出すのでは・・・と気になりだして、又ウォーキングがてら近くの谷津田に行ってみた。
この辺りでは真っ先に咲き揃う山裾のお寺の紅梅を見に行くと、予想通りもう既に見事な満開を迎えていた。
いつもは遅いその奥の白梅は・・と見てみると、 こちらも既にだいぶ咲き揃っているではないか! こんなに暖かくてほんとに良いのだろうか・・と心配になる。
谷津田の畦道を歩いていると汗が出てきた。 対応が間に合わず冬支度で歩いているとは言え、未だ2月が始まったばかりだというのに汗をかくとは想定外だ。
畦のオオイヌノフグリも、すでに全盛期を思わせるように咲き誇っている。
田を起こす人の姿もちらほら見える谷津田を行く。
気配を察したのか、行く手の田圃から鳥の群れが飛び立って里山の樹木の中に消えた。 何の鳥だろう・・と鳥の消えた林に目を凝らすが遠くて良く分からない。
大きな杉の樹の中にうごめく影に気がついて望遠レンズで覗いてみると、それは今まで見たこと無い鳥だった。 大きさはムクドリ位はありそうだが姿形はツグミに似ている。 でも色や模様が全く違うのだ!
後で図鑑を調べてみると、お腹の模様が多少違うが「ウタツグミ」と言う鳥に似ているような気がした。 でもこの鳥、日本では迷ひ鳥として現れたのを観察した記録はあるが本来日本に飛来しないようである。 では一体何だろう・・・。 何れにしても珍しい鳥には違いない!と嬉しくなる。
(2月7日、日本野鳥の会のHPを覗いていたら、出ていた「ビンズイ」の写真がこれに良く似ていることに気がついた。 改めて図鑑を見てみると背中の色の濃さが違うが模様は確かにビンズイにそっくり。 その上、「冬は群れになる」とか「・・尾をよく縦に振る」との記述を見て、そういえばセキレイのようによく尾を振る鳥だったことを思い出した。 これは間違いなく初対面の「ビンズイ」だろう)
珍しい鳥を見た余韻に浸りながら帰路に着いた。
歩いていると、田圃から枯れ芦の中に逃げ込む鳥が目に入った。 カシラダカだろうなあ・・と思いながら芦の茂みを覗いてみると、その鳥はアオジだった。
暖かいとは言え未だ田園は冬鳥の季節のようだった。
この辺りでは真っ先に咲き揃う山裾のお寺の紅梅を見に行くと、予想通りもう既に見事な満開を迎えていた。
いつもは遅いその奥の白梅は・・と見てみると、 こちらも既にだいぶ咲き揃っているではないか! こんなに暖かくてほんとに良いのだろうか・・と心配になる。
谷津田の畦道を歩いていると汗が出てきた。 対応が間に合わず冬支度で歩いているとは言え、未だ2月が始まったばかりだというのに汗をかくとは想定外だ。
畦のオオイヌノフグリも、すでに全盛期を思わせるように咲き誇っている。
田を起こす人の姿もちらほら見える谷津田を行く。
気配を察したのか、行く手の田圃から鳥の群れが飛び立って里山の樹木の中に消えた。 何の鳥だろう・・と鳥の消えた林に目を凝らすが遠くて良く分からない。
大きな杉の樹の中にうごめく影に気がついて望遠レンズで覗いてみると、それは今まで見たこと無い鳥だった。 大きさはムクドリ位はありそうだが姿形はツグミに似ている。 でも色や模様が全く違うのだ!
後で図鑑を調べてみると、お腹の模様が多少違うが「ウタツグミ」と言う鳥に似ているような気がした。 でもこの鳥、日本では迷ひ鳥として現れたのを観察した記録はあるが本来日本に飛来しないようである。 では一体何だろう・・・。 何れにしても珍しい鳥には違いない!と嬉しくなる。
(2月7日、日本野鳥の会のHPを覗いていたら、出ていた「ビンズイ」の写真がこれに良く似ていることに気がついた。 改めて図鑑を見てみると背中の色の濃さが違うが模様は確かにビンズイにそっくり。 その上、「冬は群れになる」とか「・・尾をよく縦に振る」との記述を見て、そういえばセキレイのようによく尾を振る鳥だったことを思い出した。 これは間違いなく初対面の「ビンズイ」だろう)
珍しい鳥を見た余韻に浸りながら帰路に着いた。
歩いていると、田圃から枯れ芦の中に逃げ込む鳥が目に入った。 カシラダカだろうなあ・・と思いながら芦の茂みを覗いてみると、その鳥はアオジだった。
暖かいとは言え未だ田園は冬鳥の季節のようだった。
2007年2月3日土曜日
久しぶりの対面
里山の縁の小径を行くと何やら賑やかな人の声が聞こえてきた。 見ると田圃脇の畑におばあさんが4人腰をかがめて農作業をしている。 農作業といっても小さく区画された畑は家庭菜園にちがいない。
ふと、一角に植わった梅ノ木でお腹の赤い鳥が飛び回っているのが目に入った。
蕾が脹らみ始めた梅の枝の中を透かして見ると、なんとそれはジョウビタキではないか! 畑で作業する人がいるすぐ近くに平気でいるとはちょっとびっくり。 4m位まで近寄ってシャッターを押していたがその内電池切れ! もう駄目かも・・と思いながら急いで電池を交換している間もこの鳥は梅ノ木の中を動き回っていた。
交換が終わってカメラを構えたた途端、遂にファインダーから姿を消していた。
探してみると、なんと作業しているおばあさんの近くの地面に降りている。 随分人懐っこい鳥だなあ・・とあっけにとられていたら又隣の梅ノ木に飛んできた。 今度は上手い具合に枝のない場所、これは絶好のチャンス!とばかりシャッターを押し続けたのだった。
それにしても、こんなことは滅多にあることじゃないのでびっくりするやら嬉しいやら。
ふと、一角に植わった梅ノ木でお腹の赤い鳥が飛び回っているのが目に入った。
蕾が脹らみ始めた梅の枝の中を透かして見ると、なんとそれはジョウビタキではないか! 畑で作業する人がいるすぐ近くに平気でいるとはちょっとびっくり。 4m位まで近寄ってシャッターを押していたがその内電池切れ! もう駄目かも・・と思いながら急いで電池を交換している間もこの鳥は梅ノ木の中を動き回っていた。
交換が終わってカメラを構えたた途端、遂にファインダーから姿を消していた。
探してみると、なんと作業しているおばあさんの近くの地面に降りている。 随分人懐っこい鳥だなあ・・とあっけにとられていたら又隣の梅ノ木に飛んできた。 今度は上手い具合に枝のない場所、これは絶好のチャンス!とばかりシャッターを押し続けたのだった。
それにしても、こんなことは滅多にあることじゃないのでびっくりするやら嬉しいやら。
2007年1月31日水曜日
本佐倉城址散策
真冬と言うのにポカポカと陽射しが暖かいこの朝、誘われて発掘作業が進んでいる町外れの本佐倉城址へ奥方と一緒に出かけてみた。
秀吉の北条攻めで滅ぼされ、徳川の時代に入って佐倉市の佐倉城に移転するまで、15世紀から16世紀の戦国時代の下総一帯に勢力を伸ばしていた千葉氏の拠点であったという。
国の史跡に指定され鬱蒼と茂った竹やぶや雑木林が伐採されてみると、現れたのはまぎれもなく城の跡である。
未だ伐採や発掘作業が続いている起伏に富んだ城跡を歩いていると、行く手を竹林に遮られた。 覗いてみるとそこは窪地になっていて、城の空堀の跡だという。
竹林を抜けると、切り通しのような場所に出て、その先に印旛沼干拓田が広がっていた。 この場所は「虎口」と呼ばれる城への出入り口なんだそうだ。
当時はこの先から水を満々と湛えた印旛沼の湖面が広がっていたという。
更に奥に、雑木林が伐り払われた中を行くと馬の背のような場所に出た。 城の先に突き出たこの場所は「物見跡」だという。
歩いてみるとこの城跡は結構大きいのに驚く。 小一時間歩いただろうか、ようやく一回りして中央の城山に戻ってきた。
戦国時代の城は館の周りを堀や柵が巡らしてあって、安土桃山時代以降の城のイメージは無いそうだが、こんなに広いとは予想外だった。 この城山から当時はどんな情景が見えたのだろうか・・・と想像するだけでも楽しくなる。
ちなみにこの城、江戸時代以前の古文書には「さくらの城」すなわち「佐倉城」と記されていたとのことである。 江戸時代に現在の佐倉市に移転して佐倉藩主の居城となった城が「佐倉城」と呼ばれるようになったことから、近年、歴史研究上識別する意味で地名を頭につけて「本佐倉城」と名づけたのだという。
昔から城の名には頭に地名が付けられているというが、確かに思い浮かぶ城の名を挙げてみるとほとんどそうなっているから面白い。
秀吉の北条攻めで滅ぼされ、徳川の時代に入って佐倉市の佐倉城に移転するまで、15世紀から16世紀の戦国時代の下総一帯に勢力を伸ばしていた千葉氏の拠点であったという。
国の史跡に指定され鬱蒼と茂った竹やぶや雑木林が伐採されてみると、現れたのはまぎれもなく城の跡である。
未だ伐採や発掘作業が続いている起伏に富んだ城跡を歩いていると、行く手を竹林に遮られた。 覗いてみるとそこは窪地になっていて、城の空堀の跡だという。
竹林を抜けると、切り通しのような場所に出て、その先に印旛沼干拓田が広がっていた。 この場所は「虎口」と呼ばれる城への出入り口なんだそうだ。
当時はこの先から水を満々と湛えた印旛沼の湖面が広がっていたという。
更に奥に、雑木林が伐り払われた中を行くと馬の背のような場所に出た。 城の先に突き出たこの場所は「物見跡」だという。
歩いてみるとこの城跡は結構大きいのに驚く。 小一時間歩いただろうか、ようやく一回りして中央の城山に戻ってきた。
戦国時代の城は館の周りを堀や柵が巡らしてあって、安土桃山時代以降の城のイメージは無いそうだが、こんなに広いとは予想外だった。 この城山から当時はどんな情景が見えたのだろうか・・・と想像するだけでも楽しくなる。
ちなみにこの城、江戸時代以前の古文書には「さくらの城」すなわち「佐倉城」と記されていたとのことである。 江戸時代に現在の佐倉市に移転して佐倉藩主の居城となった城が「佐倉城」と呼ばれるようになったことから、近年、歴史研究上識別する意味で地名を頭につけて「本佐倉城」と名づけたのだという。
昔から城の名には頭に地名が付けられているというが、確かに思い浮かぶ城の名を挙げてみるとほとんどそうなっているから面白い。
ラベル:
北総とその周辺の名所,
北総の四季折々,
北総の昔を偲ぶ







