このところ気温は一時期より下がって猛暑では無くなったが、どんより曇って時折雨が降る陽気。 湿度は相変わらず高いので不快この上ない。
晴れてくれないかな~・・・と、霧雨の降る薄暗い窓の外を眺めていたら小さなアサガオの花が目に入った。
奥方が撒いた種が育って最初に咲いた記念すべき花だ!
この写真を現像している途中、電話が鳴った! 昔の仕事仲間からの飲み会の誘いの電話だった。
4時半に本八幡の馴染みの店で・・・というのでそわそわと落ち着かなくなって早めに家を出た。
まだ閑散とした店に集まった年寄り5人、いつものように病気の話に始まったが、株に熱中しているT君の、あらゆることを株取引の極意に関連付ける話は面白かった。
ボランティアで中・高校の地方大会等の野球の審判を務めるN君の、好きでなければやってられないような苦労話も面白かった。
Windows10導入体験談にも花が咲いて参考になった。 PCの容量に余裕が無いと入れたは良いが動作がめっちゃ遅くなるという! 使っていたOSは削除されずに残るからだという。
なるほど、HDDの残量が少なくてどうしようか迷っていたのでこれも大変参考になった。
それにしてもけっこう飲んだ! 4時半に始まって家に帰ったら10時を過ぎていた。
奥方から再三にわたって「電車を乗り過ごさぬように!」というメールが来ていたが、足元がおぼつかないほど飲んだにもかかわらず、なんとか家にたどり着いてほっとした(^_^)。
(カメラ : EOS 5D MarkⅡ)
(レンズ : EF28-300mm F3.5-5.6L IS USM)
2015年8月21日金曜日
2015年8月14日金曜日
キツネノカミソリ
明日は終戦記念日。
毎日暑い日が続いて家に籠っていることが多いこの時期は あの忌まわしい戦争を忘れずに後世に伝えてゆこうとするTV番組が目に留まることが多くなり、当時を思い出して胸を締め付けられる思いがする。
家の前が板付飛行場だったこともあり、毎日のようにやってくるグラマン戦闘機やB-29の空襲の度に、幼い次男を背負って国民学校1年生の手を引っ張って逃げまどうおふくろや、 夜空を真っ赤に染めて燃え上がる博多の街の夜景、 ラジオの前で首を垂れ、正座して玉音放送を聴く静かで暑い日のおふくろの姿等、走馬灯のように瞼に浮かんで行く。
戦争が終わっても安心ではなかった。
直ぐに飛行場に米軍機が多数やってきて、日本軍の残した飛行機を飛行場に並べ油をかけて焼却。 その時の黒煙は辺りが暗くなるほどだったことも思い出した。
走り回るジープの進駐軍の兵士に手を振る菓子めあての子供達の姿も思い出す。
「進駐軍は何をするかわからない。女子供は避難した方が良い」という噂に怯え、おふくろは子供二人を引き連れ遠くの実家まで夜を徹して20km近くも歩き通した夜道の暗さも思い出す。
あのおふくろも3年前に亡くなった。 戦後70年と思うと「俺も歳をとったなあ!」と溜息が出てしまう。
それに比べこの猛暑にも負けず甲子園で奮戦している高校球児の元気なこと! 若いということは羨ましい限りだ。
暑いからと言って家に閉じ籠ってばかりでは益々衰えてしまうので良くないと思い、何処かに出かけようとした時思い出したのがキツネノカミソリ。 早速房総のむらの風土記の丘に行ってみると、いつもあの花が咲く里山が丸坊主。
お盆のころになると草刈りが入ることを忘れていた。
ともかく歩いてみることにしてしばらくすると このキツネノカミソリが咲いているのを見つけた!
でも枯草の中では折角の花の色が冴えないのでがっかり。
諦めかけていたら、古墳が点在する草原になっている風土記の丘の東側は緑が濃いので行ってみると 古墳の麓でキツネノカミソリを見つけた! これは良い感じ!
辺りを見回すと好きな花が目に留まった。アキノタムラソウだ!
収穫は少なかったがやはり外に出て汗をかくことは精神衛生上も良さそうだ。
(カメラ:X-T1)
(レンズ:XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS)
毎日暑い日が続いて家に籠っていることが多いこの時期は あの忌まわしい戦争を忘れずに後世に伝えてゆこうとするTV番組が目に留まることが多くなり、当時を思い出して胸を締め付けられる思いがする。
家の前が板付飛行場だったこともあり、毎日のようにやってくるグラマン戦闘機やB-29の空襲の度に、幼い次男を背負って国民学校1年生の手を引っ張って逃げまどうおふくろや、 夜空を真っ赤に染めて燃え上がる博多の街の夜景、 ラジオの前で首を垂れ、正座して玉音放送を聴く静かで暑い日のおふくろの姿等、走馬灯のように瞼に浮かんで行く。
戦争が終わっても安心ではなかった。
直ぐに飛行場に米軍機が多数やってきて、日本軍の残した飛行機を飛行場に並べ油をかけて焼却。 その時の黒煙は辺りが暗くなるほどだったことも思い出した。
走り回るジープの進駐軍の兵士に手を振る菓子めあての子供達の姿も思い出す。
「進駐軍は何をするかわからない。女子供は避難した方が良い」という噂に怯え、おふくろは子供二人を引き連れ遠くの実家まで夜を徹して20km近くも歩き通した夜道の暗さも思い出す。
あのおふくろも3年前に亡くなった。 戦後70年と思うと「俺も歳をとったなあ!」と溜息が出てしまう。
それに比べこの猛暑にも負けず甲子園で奮戦している高校球児の元気なこと! 若いということは羨ましい限りだ。
暑いからと言って家に閉じ籠ってばかりでは益々衰えてしまうので良くないと思い、何処かに出かけようとした時思い出したのがキツネノカミソリ。 早速房総のむらの風土記の丘に行ってみると、いつもあの花が咲く里山が丸坊主。
お盆のころになると草刈りが入ることを忘れていた。
ともかく歩いてみることにしてしばらくすると このキツネノカミソリが咲いているのを見つけた!
でも枯草の中では折角の花の色が冴えないのでがっかり。
諦めかけていたら、古墳が点在する草原になっている風土記の丘の東側は緑が濃いので行ってみると 古墳の麓でキツネノカミソリを見つけた! これは良い感じ!
辺りを見回すと好きな花が目に留まった。アキノタムラソウだ!
収穫は少なかったがやはり外に出て汗をかくことは精神衛生上も良さそうだ。
(カメラ:X-T1)
(レンズ:XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS)
2015年8月5日水曜日
北茨木ドライブ最終日
今日は北茨木・海辺のドライブ最終日。
海辺から数百メートル奥まった渓谷の落ち着いた静かな温泉旅館で一泊した後、又暑くなりそうな良い天気の朝、まず最初に訪れたのは福島県境にある「勿来の関跡」。
「勿来の関」というと、茨城から福島へ抜ける険しい山中に千五百年位前に設けられたという古い関所で、義経も東北に逃れる時に通ったんじゃないかなあ・・・と、 なんとなくロマンを感じて想像をめぐらす程度の認識、そこにはどんな歴史や由来があったのか詳しいことは全く分からなかった。
国道6号線の常磐道を海沿いに北上、「いわき市」の看板を見て直ぐに「勿来の関三叉路」を左折し、「勿来の関公園」として整備された湾曲した道路を登ってゆくとやがて関所跡に到着。
あまりに古い関所跡だからひょっとすると辺りは住宅街になっていて関所跡の石碑か何かが建ってるだけかも・・・と危惧していたが、道路は立派だが辺りは鬱蒼とした樹林、 樹齢千年はありそうな源義家の「弓掛けの松」の巨木が歴史の古さを感じさせている!
石板に書いてあったの見ると、そもそも「勿来(なこそ)」と言うのは蝦夷は「来るなかれ」という意味なんだそうで、随分古い関所だったんだなあ!・・と想像できる。そこにはこの源義家の銅像があった。
奥州で起こった反乱を平定に向かう途中、ここで「吹風をなこその関とおもへども・・・」と和歌を詠んだのだという。
「勿来の関」は紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など、おなじみの歌人も和歌に詠みこんだという有名な和歌の題材「歌枕」となっていたのでこの関所が有名なんだそうだ。
遠路はるばる関東と陸奥の境にやって来て感慨に耽る気持ちは分かるような気がする。 一方、勝手に想像していた義経との関係はどこにも出てこなかった。
これが関所跡の石碑。
古そうな祠。
この辺り、今ヤマユリの最盛期になっていた。
期待に違わずなかなか良い所だ! 実際に来てみて「勿来の関」のイメージが見えてきた。
次に向かったのは「茨城県天心記念五浦美術館」。強烈に暑くなって駐車場から階段を登ってこの美術館に入るまでに一汗かいてしまった。
中は撮影禁止で何も記録できなかったが、交通不便な時代に国内だけでなく亜細亜や欧米諸国を精力的に飛び回って活躍した岡倉天心とその仲間達の行動力に感嘆させられた。
昔の人は想像もできないくらい活動的だ!
思いのほか大きくて立派な美術館を見て歩いたので疲れたが、 折から開催中の「妖怪の絵画展」まで楽しんだのち窓の外を眺めながら小休止。 庭園のヤマユリ。
綺麗な海岸。
美術館を堪能した後、いよいよ帰途に就くことにした。 帰りは大洗港に寄り道。
立ち寄ったポートタワーから眺めた大洗海水浴場。
結構賑わっていたが、この後家に帰ってTVを見てたらサメが現れて遊泳禁止になったと言っていたのでびっくりだった。
ここで昼食後、話に聞いていた大洗水族館を訪れた。 想像以上に大きな水族館で、夏休みとあって子供連れの家族で大賑わい!
人いきれと甲高い子供の声がこだまする館内は蒸しぶろ状態、早々にそこを逃げ出して帰途に就いたが、 お子さん連れのパパやママはほんとに大変だ!
(カメラ:EOS 5D MarkⅡ)
(レンズ:EF28-300mm F3.5-5.6L IS USM)
海辺から数百メートル奥まった渓谷の落ち着いた静かな温泉旅館で一泊した後、又暑くなりそうな良い天気の朝、まず最初に訪れたのは福島県境にある「勿来の関跡」。
「勿来の関」というと、茨城から福島へ抜ける険しい山中に千五百年位前に設けられたという古い関所で、義経も東北に逃れる時に通ったんじゃないかなあ・・・と、 なんとなくロマンを感じて想像をめぐらす程度の認識、そこにはどんな歴史や由来があったのか詳しいことは全く分からなかった。
国道6号線の常磐道を海沿いに北上、「いわき市」の看板を見て直ぐに「勿来の関三叉路」を左折し、「勿来の関公園」として整備された湾曲した道路を登ってゆくとやがて関所跡に到着。
あまりに古い関所跡だからひょっとすると辺りは住宅街になっていて関所跡の石碑か何かが建ってるだけかも・・・と危惧していたが、道路は立派だが辺りは鬱蒼とした樹林、 樹齢千年はありそうな源義家の「弓掛けの松」の巨木が歴史の古さを感じさせている!
石板に書いてあったの見ると、そもそも「勿来(なこそ)」と言うのは蝦夷は「来るなかれ」という意味なんだそうで、随分古い関所だったんだなあ!・・と想像できる。そこにはこの源義家の銅像があった。
奥州で起こった反乱を平定に向かう途中、ここで「吹風をなこその関とおもへども・・・」と和歌を詠んだのだという。
「勿来の関」は紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など、おなじみの歌人も和歌に詠みこんだという有名な和歌の題材「歌枕」となっていたのでこの関所が有名なんだそうだ。
遠路はるばる関東と陸奥の境にやって来て感慨に耽る気持ちは分かるような気がする。 一方、勝手に想像していた義経との関係はどこにも出てこなかった。
これが関所跡の石碑。
古そうな祠。
この辺り、今ヤマユリの最盛期になっていた。
期待に違わずなかなか良い所だ! 実際に来てみて「勿来の関」のイメージが見えてきた。
次に向かったのは「茨城県天心記念五浦美術館」。強烈に暑くなって駐車場から階段を登ってこの美術館に入るまでに一汗かいてしまった。
中は撮影禁止で何も記録できなかったが、交通不便な時代に国内だけでなく亜細亜や欧米諸国を精力的に飛び回って活躍した岡倉天心とその仲間達の行動力に感嘆させられた。
昔の人は想像もできないくらい活動的だ!
思いのほか大きくて立派な美術館を見て歩いたので疲れたが、 折から開催中の「妖怪の絵画展」まで楽しんだのち窓の外を眺めながら小休止。 庭園のヤマユリ。
綺麗な海岸。
美術館を堪能した後、いよいよ帰途に就くことにした。 帰りは大洗港に寄り道。
立ち寄ったポートタワーから眺めた大洗海水浴場。
結構賑わっていたが、この後家に帰ってTVを見てたらサメが現れて遊泳禁止になったと言っていたのでびっくりだった。
ここで昼食後、話に聞いていた大洗水族館を訪れた。 想像以上に大きな水族館で、夏休みとあって子供連れの家族で大賑わい!
人いきれと甲高い子供の声がこだまする館内は蒸しぶろ状態、早々にそこを逃げ出して帰途に就いたが、 お子さん連れのパパやママはほんとに大変だ!
(カメラ:EOS 5D MarkⅡ)
(レンズ:EF28-300mm F3.5-5.6L IS USM)
2015年8月4日火曜日
北茨木の「六角堂」へ
連日35℃超えの猛暑が続いているが、最近、家の近くの東関東道から常磐道に高速道路がつながって便利になったこともあり、この日は思い切って北茨木の海辺へ一泊二日のドライブ旅行に出かけることにした。
先日九十九里浜に行ったら海辺は内陸よりも5℃近く気温が低かったことに味を占め、以前から磯の風景が綺麗だというがどんな所か見てみたいと思っていた北茨木の海岸にある「六角堂」に行ってみることにした。
大震災の大津波で破壊されたがその後再建されたと知り、何時か見に行きたいと思っていたのと、調べてみると福島県境にある「勿来の関跡」も近いのでそこもどんな所かついでに見てきたいと思ったからである。
途中、海の眺望が開けた広大なお花畑で有名な「ひたちなか海浜公園」にも寄り道した。
2時間弱で到着した「ひたちなか海浜公園」の南口。
寒流が流れ下る太平洋沿岸は涼しいのでは・・と思ったが当てが外れ、 海辺にも関わらず期待に反して34℃近くと暑かった!
初めて入る園内はやたらと広そう! この暑さの中を歩き回るのはちょっと無理かなあ・・・と一瞬たじろいだ。
インフォメーションマップを見てみると「シーサイドトレイン」が園内を巡っていることがわかり、これに乗ろう!と決める。
広い園内をガイドさんの説明を聴きつつ海風に吹かれながら巡るトレインは猛暑も気にならなくて助かった。
遊戯施設もいっぱいあるんだ!と初めて知る。 でも暑くて人影は少ないようだ。
鬱蒼とした森林もある! 樹種も多く、動植物が豊富なトレッキンコースが整備されているという。
広々した草原にはマツヨイグサの仲間が花盛り!
ここはお花の公園と思っていたが、デズニーランド4個分の広さの園内は広大な自然園の様相。 事前に描いていたイメージとは大違いだ!
やがてコキアが綺麗な「みはらしの丘」にやって来た。
ここだけはゆっくり見てこようと、ここでトレインを降りて丘に登ってみることにした。
暑いのに他にも登っている人がいる!
丘の上からなるほど海が見えた! これは那珂湊方面の海だ。
ふもとに古民家まである! お花畑の手入れをする人の姿も見える!
ひまわりの花は未だ咲いていないようだ。
あまりに暑いし広すぎるのでゆっくり見て回るのは又別の機会に譲り、そこを後にして那珂湊のお魚市場で昼食とした。
その後、「六角堂」がある北茨城市五浦(いずら)海岸へ2時間近くのドライブ。
五浦海岸に着いて六角堂に向かって歩いていると、 途中、岡倉天心のお墓があった!
なんでこんなところに?・・と銘板を読んでみると、天心ゆかりのこの地に分骨したのだという。
六角堂のある公園に入ると、岡倉天心の邸宅があり、そこからヤマユリが咲く岸壁を下ってゆくと崖下の日本画のような海の景色が目に入ってきた!
そして再建された「六角堂」が見えた! ここは天心が読書と思索にふけった場所と初めて知った。
この屋根を超える津波は崖の上の岡倉天心の邸宅の床下まで達したという。
この地が岡倉天心、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山等、日本画の巨匠が属していた日本美術院の拠点だったということを今まで知らなかった。
そうと分かれば明日は近くに立派な「茨城県天心記念五浦美術館」があるというので立ち寄ってみなければ・・・と思った。
(カメラ:EOS 5D MarkⅡ)
(レンズ:EF28-300mm F3.5-5.6L IS USM)
先日九十九里浜に行ったら海辺は内陸よりも5℃近く気温が低かったことに味を占め、以前から磯の風景が綺麗だというがどんな所か見てみたいと思っていた北茨木の海岸にある「六角堂」に行ってみることにした。
大震災の大津波で破壊されたがその後再建されたと知り、何時か見に行きたいと思っていたのと、調べてみると福島県境にある「勿来の関跡」も近いのでそこもどんな所かついでに見てきたいと思ったからである。
途中、海の眺望が開けた広大なお花畑で有名な「ひたちなか海浜公園」にも寄り道した。
2時間弱で到着した「ひたちなか海浜公園」の南口。
寒流が流れ下る太平洋沿岸は涼しいのでは・・と思ったが当てが外れ、 海辺にも関わらず期待に反して34℃近くと暑かった!
初めて入る園内はやたらと広そう! この暑さの中を歩き回るのはちょっと無理かなあ・・・と一瞬たじろいだ。
インフォメーションマップを見てみると「シーサイドトレイン」が園内を巡っていることがわかり、これに乗ろう!と決める。
広い園内をガイドさんの説明を聴きつつ海風に吹かれながら巡るトレインは猛暑も気にならなくて助かった。
遊戯施設もいっぱいあるんだ!と初めて知る。 でも暑くて人影は少ないようだ。
鬱蒼とした森林もある! 樹種も多く、動植物が豊富なトレッキンコースが整備されているという。
広々した草原にはマツヨイグサの仲間が花盛り!
ここはお花の公園と思っていたが、デズニーランド4個分の広さの園内は広大な自然園の様相。 事前に描いていたイメージとは大違いだ!
やがてコキアが綺麗な「みはらしの丘」にやって来た。
ここだけはゆっくり見てこようと、ここでトレインを降りて丘に登ってみることにした。
暑いのに他にも登っている人がいる!
丘の上からなるほど海が見えた! これは那珂湊方面の海だ。
ふもとに古民家まである! お花畑の手入れをする人の姿も見える!
ひまわりの花は未だ咲いていないようだ。
あまりに暑いし広すぎるのでゆっくり見て回るのは又別の機会に譲り、そこを後にして那珂湊のお魚市場で昼食とした。
その後、「六角堂」がある北茨城市五浦(いずら)海岸へ2時間近くのドライブ。
五浦海岸に着いて六角堂に向かって歩いていると、 途中、岡倉天心のお墓があった!
なんでこんなところに?・・と銘板を読んでみると、天心ゆかりのこの地に分骨したのだという。
六角堂のある公園に入ると、岡倉天心の邸宅があり、そこからヤマユリが咲く岸壁を下ってゆくと崖下の日本画のような海の景色が目に入ってきた!
そして再建された「六角堂」が見えた! ここは天心が読書と思索にふけった場所と初めて知った。
この屋根を超える津波は崖の上の岡倉天心の邸宅の床下まで達したという。
この地が岡倉天心、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山等、日本画の巨匠が属していた日本美術院の拠点だったということを今まで知らなかった。
そうと分かれば明日は近くに立派な「茨城県天心記念五浦美術館」があるというので立ち寄ってみなければ・・・と思った。
(カメラ:EOS 5D MarkⅡ)
(レンズ:EF28-300mm F3.5-5.6L IS USM)