2016年12月29日木曜日

サイドテーブル完成!

きっかけはソファーに座ってTVやiPadを見たりしている時、コーヒーの置き場所が無くて不便だったこと。

小さなテーブルが欲しいなあ・・とインテリア家具店やネットオークション等でも探したが、気に入ったサイドテーブルは結構値段が高くて手が出ない。

そんな時思い出したのが先祖から受け継いで置き場に困っていた大正から昭和初期の古い整理ダンスを解体し、捨てるのが勿体なくて何かに使おう・・・と保管していた立派な楠の化粧板のこと。
うまい具合に余って置き場に困っていた丁度良い大きさの白い棚板もあったので、これを土台にして脚などを付け、サイドテーブルを自作することを思いついた。

構想してからほぼ一週間、サイドテーブルの組立完了
とは言っても、楠板の周囲を囲う工作を失敗して、接合部が隙間だらけになってしまいがっくり!
きちっと測って鋸を入れたつもりなのに何処を間違えたのか残念至極、コーキング材で塞がざるを得なくなってしまった。

気をとりなおし、工作に失敗した部分に塗装をしたら
このように工作の失敗よりも、古い楠の化粧板の味わい深さが勝っていたのでほっとした。

でも白い色の縁取りはちょっと気に入らない! 出来れば何か他の色に塗り代えたいがその内気が向いたら考えることにしよう。
(カメラ:X-T2)
(レンズ:XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS)

2016年12月26日月曜日

ほころび始めた椿!

二週間くらい前からやたらとくしゃみが出たり鼻に血が混じったりして何となく風邪気味の日々が続いていたが、次第にそれが治まって来てひどくならずに済みそう・・とホッとしているところ。
寒かったり暑かったりと寒暖の差の大きさに体が適応することが出来ない歳になってしまい、こまめに服を着替えるよう心掛けてはいるのだが、始末の悪いことに歳とともに感覚機能も衰えてくるので喉の渇きに気がつかず水分補給が十分でなくなることも風邪をひきやすい原因かもしれない。

今朝は何だか寒いなあ・・・と寒暖計を見ると部屋の温度が10℃、厚手の服に着替えながら窓の外を見ていたら、赤白椿の天辺に何やら小さな赤いものが見えた。
そういえばここ数日風が強かったので何処からか赤い紙切れが飛んできて引っ掛かってるのかなあ・・・とよくよく見てみてみると、それは椿の蕾が花びらを覗かせ始めていたのだった。
早速カメラに望遠レンズを着けて撮ったのが、
この写真。 
えっ もう咲き始めてる! ・・・とびっくりしたが、考えてみると去年も驚いて撮ったような気がしてアルバムを見返したら、12月24日にこれよりもっと開きかけた写真を撮っていた。

探して見ると他にも先が赤くなった蕾が幾つも見つかった。
この椿が見ごろになるのは何時頃だったかなあー・・・と撮った写真を検索してみたら、2012年は4月3日2014年は3月⒕日今年は2月15日と、次第に開花時期が早くなっている感じ。確実に暖冬の時代になって来たようだ。
(カメラ:X-T2)
(レンズ:XF 100-400mm F4.5-5.6 R LM OIS WR))

2016年12月18日日曜日

極彩色の大杉神社!

この日の朝、新聞と一緒に配達されたチラシの中の小冊子に目が留まった。 
というのも、まるで日光の東照宮のような煌びやかな神社の写真が載っていたからだ。
ページをめくってみると、それは稲敷市に古くからあるという大杉神社の宣伝広告だったが、その社殿は昔から「あんば参れば日光見るに及ばず」と言われるくらい見事だったらしい。
こんな神社が近くにあるとは全く知らなかったので興味が湧いて、このところ風邪気味の体調不良であまり出歩きたくなかったが、「ほんとかいな?」 と気になって実際に行って見てくることにした。

利根川を渡り、広大な田圃の中を「こんな豊かな水田地帯だから豪華な神社を維持できたのかなあ~?」等と考えながら走っているうちに目的地に到着。あにはからんや厳かな気分になるような参道も無く、道路際からいきなり真新しい石灯籠と階段があって、その上に赤い鳥居が見えるのみ。
20段かそこらの階段を登ると
大杉神社」と書かれた額があったので間違いなくここが目的地だと確認できた。

拝殿への入り口、神門を潜り見上げると、なるほど青や赤や金ぴかに彩色されている!

これは楼門。 まるで陽明門みたい?

これが拝殿
おおよそ20km圏内に大きくて重厚な鹿島神宮や香取神宮があるのだが、ここはそれ等ほど大きくない。 

でも日光以外にこんな神社があったとはほんとに驚きだった!

これは悪い縁を切ったり、厄を除けたりするために割った「かわらけ」の奉納場所!  
こういう風習があるのか!・・と初めて見たので感動!

拝殿の後ろの幣殿と本殿の屋根もきっちり彩色されている!

これは又見事に彩色された瑞垣! 孝行な人々を描いた説話集の「二十四孝」を題材としたという彫刻が施されている!

裏手の方にはスダジイの巨木近くにお稲荷さんも祭ってあった。

それにしてもこんな所に極彩色の神社がどうして?・・・と知りたくなる。
小冊子によると、おおもとは縄文時代の当時は海に面した岬のような地形のこの阿波(アバ)地区が、茨木から千葉にかけて住んでいた海洋民族の海や河の安全祈願をする地域信仰の場所だったとのこと。
古来「あんば様」と呼ばれて親しまれていたらしいが、 奈良時代に神社として祭られるようになり、江戸初期に輪王寺や寛永寺の住職だった天海和尚隣接する安穏寺の住職となったことや、四代将軍家綱が灯篭を奉納していることから考えると、幕府の手厚い庇護を受けていたのかなあ~?・・・・と勝手に想像。  
でもこの豪華絢爛な神社が今なお維持されていることを考えると、今なお様々な願いを込めて参拝する人が多いからかもしれない。 
変わった所では、JRA美穂トレーニングセンターが近いこともあって、境内の勝馬神社に参拝するJRA関係者や競馬ファンも多いのだというから面白い。
(カメラ:X-T2)
(レンズ : XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS))

2016年12月8日木曜日

川村美術館へ!

一昨日の夜遅く四国ツアーか帰ってきて今日辺りは疲れがどっと出るかと思ったが、この日も意外と清々しい朝を迎えることが出来たので一安心。
とはいっても家内の方は風邪気味で時折咳をしているのが気になったが、天気が良いのでどこか近くで気晴らしでもしてこないか?と声を掛けると、今やっている川村美術館の藤田嗣治特別企画展を見てみたいと言うので早速行ってみることにした。

企画展だからか思ったより車が多い川村美術館の駐車場に車を停めて園内に入ると、
*自然散策路の林は樹々が葉を落とし、木漏れ日が射しこんで明るい感じになっていた。

*冷たい風を遮られているせいか、管理棟脇のモミジは未だ綺麗に輝いていた。

*美術館前の池が気持ち良いほど明るい!

*いつもはこの周囲の自然散策路を撮り歩くことが多いのだが、この美術館に入るのは何年ぶりだろう? ・・・等と思いながら館内へ。

数多くの藤田嗣治の作品を彼の生い立ちと見比べながらの鑑賞で認識を新たにしたのは良かったが・・・チョウ疲れた!  
この疲れは目から来ているので、こういう時は老眼鏡を持参しないといけないなあ・・・と反省。

この時期の園内は花は期待できないが、もしかすると池にオシドリが来てるかも・・と美術館を出た後池の奥に行ってみた。

いつもオシドリがたむろする場所を覗いてみると、対岸に沢山見えた!

水面にも見える!

こちら側の岸にも居た!
両岸合わせると結構な数になる! こんなに多くなっているとはビックリ!

文字通りオシドリ夫婦だ!
人と違って昔から亭主が後ろっていうのがオシドリのエチケット・・・かな?

ここの池は広いし、安全だし、食事は飼われている白鳥やガチョウの餌のおこぼれがあるから多分困らないだろう。 オシドリにとっては天国かも・・だ!

それにしてほんとに派手な色と形だ! 誰がデザインしたんだろう? ・・・と不思議になる。

(カメラ:X-T1)
(レンズ : *印 XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS)、
XF 100-400mm F4.5-5.6 R LM OIS WR)

2016年12月7日水曜日

四国ツアーへ!

4日(日曜日)から6日(火曜日)迄、思い切って家内と二人で四国に行ってきた。

50年くらい前に剣山登山徳島を訪れたことはあるのだが、それ以外の場所は訪れたことが無く、未だ若干空きがあるという新幹線利用のツアーに申し込み、道後温泉や四万十川、土佐の桂浜、祖谷のかずら橋と金毘羅さんを巡って来た。

12月4日(日曜日)
東京駅を「のぞみ19号」で9時10分に出発し、天気が下り坂と予報が出ていた福山へ向かった。

これは富士川の鉄橋からの車窓の眺めをiPhoneで撮ったもの! 
この辺りは未だ天気は良かったが、予報通り福山で降りてバスに乗り換え車窓の景色を期待していた「しまなみ海道」を往く頃はガス

夕暮れ時の4時ごろ、薄暗くなってきた道後温泉に到着すると、 雨は止んでiPhone片手に散策に出かけた。

観光客で賑う道後商店街のアーケード!

坊ちゃん」と名の付くお土産の多いこと!  

アーケードの先に
あの有名な「道後温泉本館」が有った!

屋根上に時を告げるあの太鼓が見える!

からくり時計が作動する時間が迫っていることに気付き、アーケードを引き返して市内電車の道後温泉駅前に急いだ。

からくり時計が動き出すところに間に合った! 
上下3段のユーモラスなからくりが面白かった! 

これは駅前に展示してあった当時の「坊ちゃん列車」! 今でも日中は1時間に一本位走らせているそうだ。

12月5日(月曜日)
この日は道後を出た後、白壁木蝋が有名という山間の内子町を見て、四万十川で屋形船に乗り、更に高知市の桂浜を見物する長旅だった。

早朝出発したバスが道後公園(湯築城址)の脇を通過する頃、天気の回復を予感させる空が見えた!

やがてバスは町を離れ、
車窓からちらっと見えたこの伊予灘もつかの間。

辺りが霧に包まれたこんな山の中をひた走る。 

やがて山間の盆地にある内子町に到着。 あの有名な「肱川嵐」はこの盆地に溜まった霧が流れ下って引き起こすのだと初めて知って感動。

内子町に着いて直ぐ白壁の家並を散策。

かって木蝋で財をなした豪邸!

霧が晴れてきて青空が見えてきた! 

ここを後に宇和海の海岸から四万十川へ向かう。

様々な魚の養殖が盛んな宇和海の車窓の眺め! 
おびただしい数の生け簀の浮き玉が見える!

昼過ぎ、四国一の長河と言われる四万十川にやって来た!
吉野川の方が長いと思っていたが、激しく蛇行しているので延ばすと一番長くなるのだそうだ。

早速屋形船に乗りクルーズ開始すると、遠くに沈下橋が見えてきた!

流れが緩やかで蛇行が多いのは上流と下流の高低差が少ないことに起因するらしい。 
ダムが無いのもそのせいで、魚類の絶好の生息地だということが良く分かる。

ここを後にして高知市に着いたのは夕方5時近く、暗くなりかけた桂浜を散策した。

桂浜の景色!
松林のある庭園のような綺麗な浜だったとは予想外!
そんな庭園のような浜に竜馬の銅像が立っていたことも、その大きさも予想外だった!

12月6日(火曜日)
この旅最後のこの日も天気はまあまあ、山中を走って大歩危・小歩危地区の祖谷のかずら橋へ行き、金毘羅さん参詣の後、瀬戸大橋を渡って新幹線乗り場の岡山駅に向かった。

これがかずら橋
一瞬、昔から想像していたのより低い場所で短い・・・と思った。 もっともこれは観光用、この地域には幾つもあったかずら橋が今は殆ど無くなっているというから昔のイメージの橋はもう見ることはできないのかも・・・。

それにしても金属ワイヤーで補強されている脇のかずらにしがみつきながら渡る恰好が可笑しかった。

四国がこんなに険しい山ばかりだとは!・・と感嘆。

そこを後にして次に向かったのは金毘羅さん
こんな門前町が上まで続くんだ・・・と思っていたが、

両脇の土産店はこの365段の大門手前が最後だった。

門を潜るといよいよ神域に入ってきた感じ!

ちょっと心配だった785段の階段を大汗をかいて登りきり参拝を済ませる。

讃岐富士瀬戸大橋を望むそこからの眺めが絶景だった!
よく見ると富士山の形をした大小の山が幾つも見えるのには驚いた! 

こんな急な階段をよくもまあ登って来たものだ!」と、 下りる階段の上に立って感嘆。

帰りは途中から階段のないモミジが綺麗な裏参道を下ってバスに戻り岡山駅に向かった。

途中、瀬戸大橋を渡る車窓の景色が綺麗だった!

ダイナミックな橋の支柱やワイヤーに感嘆!

こんな車窓の景色に名残を惜しむ間もなくバスは対岸の本州に入って行った。
岡山駅に6時ごろ到着、のぞみ52号で東京に着いたのは10時10分前だった。

これまで想像していた四国のイメージは随分違ってどこに行っても山ばかり、山を抜けたら海なのだ。 
歩いて巡る四国巡礼の旅はさぞ厳しかろう・・とよく分かった旅でもあった。
(カメラ:X-T1)
(レンズ : XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS)