2008年10月15日水曜日

思わぬ出会いのナンバンギセル

今日は天気が回復すると天気予報で言っていたのに朝の空は雲に覆われて薄暗い。 千葉は何時も一番最後になるのでいやになるなあ・・・と勝手なことを思いながら庭に目をやると、
咲いている白花のホトトギスの近くに普通のホトトギスの姿が見えるではないか! てっきりもう消えてしまったと思っていたのが未だ残っていたのだ! これも虫に食われてはいるが何とか形を留めていて祝着だ。
脇に置かれた植木鉢の近くにピンクの花が咲いていることに気がついて良く見ると、この花は「ツリフネソウ」だ!  裏庭ではかろうじて夏越しをしたこの花が一斉に咲いたのだが、日当たりの良い表では夏の暑さに耐え切れずに消えたものと思っていた。 しぶとく生き残っていたとは、ほんとに驚嘆すべき生命力だ。 冴えない天気に腐っていると、「ナンバンギセルが未だ咲いてたと友達から電話があったので行ってみる?」と家内が言うので付いて行ってみることにした。
先日探したのに見つけられなかった場所で待っていた家内の友達が教えてくれたその場所には、なるほど可愛いナンバンギセルが咲いていたのだ!
近所のおばあさんがこの花の種を蒔いたのはもう十年以上も前のこと、未だにこうして咲いているとはほんとに嬉しい限りである。

悠久の城址探訪

今日は午後になったら幾分秋空が広がってきたので、町外れの戦国時代の本佐倉城跡に行ってみることにした。 そこは国の史跡に指定された根古谷地区の城の中心部ではなく、未だ行ったことが無い谷を挟んだ小高い山の上の向根古谷地区だ。
千葉氏の家臣団が立て篭もったというこの場所、今は鬱蒼と樹木に覆われてどう行ったら良いのかさえ知らなかったが、かって弁天池の中島にあったというこの弁天様近くに細い急な山径を見つけ登ってみた。
山と言っても標高40m程度、薄暗い急な山径を5分も行かぬうちにこの奇妙な三角形の石に出会った。 見ると文字が刻んであり、「小御嶽石尊大権現」と読める。 右脇には「大天狗」、左脇には「小天狗」とある。 一体これは何だろう?・・
更に行くと、塚のようなものにぶち当たった。 右に大きな石碑、左には階段がしつらえてあり、その上に小さな石造りの祠がある。 石碑には、「伊勢大々講紀念碑」と彫られた文字がある。 これがこの地の郷土史に出てくる「浅間神社」に違いない。
早速細い注連縄が掛かる階段を登り祠を拝みに行く。 この祠にも暗くて見えにくかったが「富士仙元大菩薩」と刻んであった。 ということはこの祠は富士山の神様を祭った「浅間神社」に間違いない。 昔の地域住民の信仰の対象だったのではなかろうか・・・・。  でも戦国の城の跡らしい痕跡が見当たらないなあ・・と思いながら先を進むと、いきなり周囲が開けて畑が現れた。 この広場が多分昔の家臣団が立て篭もった場所かも・・・。
畑を抜けると比較的大きな神社の鳥居があった。 幟が立っているところを見ると今日は祭礼が行われているようだ。 この神社、酒々井町上本佐倉地区の村社神明大神社だった。 ここを訪れたのは初めて、お神酒の入った地元の人が神社の周囲の土塁や空堀の跡を案内してくれて、初めてここが城址であることが良く分かったのだった。